ガラテヤの信徒への手紙 1章4節

キリストは、わたしたちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです。(ガラテヤの信徒への手紙 1章4節)

「私たちの罪のために」とか「私のために」とかいった言葉に
どれほど多くのことが含まれているかよく注意して考えてみなければなりません。
さらに、「私のためにささげられた」という御言葉を
はっきりとした信仰をもって受け入れ、
それを自分にもあてはめるようになりましょう。
キリストはペトロやパウロや他の使徒たちだけを愛して、
彼らだけのために御自分をささげてくださったのではありません。
そのような恵みは私たちにも同じように与えられているのです。
このことを「私のために」というこの短い言葉は意味しています。
私たちは皆罪人であり、
アダムはその罪によって私たち皆を腐敗させ、
神様の怒りや裁きや永遠の死を受けるのが当然の存在にしてしまいました。
それと同様に、キリストは、
私たちを義とするために、
私たちの罪のために死んでくださいました。
キリストは、前からすでに義である者たちを義とするために死なれたのではなく、
貧しい罪人を助けて彼らが義とされ、
神様の友、神様の愛する子供になり、
天国を継ぐ者となるために、死んでくださったのです。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)


クリスチャンに特有な知識や真の知恵は、
パウロの伝えたこれらの御言葉を厳粛に受け止めるところにあります。
すなわち、キリストが死なれたのは、私たちの義や聖のためではなく、
私たちの罪のためであった、ということです。
この罪は、本当に存在するものであり、大きく、おびただしく、数え切れず、
とても打ち勝つことができないほどのものです。
そういうわけですから、
「自分の罪は些細なものだから、自分の行いで取り去ることができるだろう」
などと思い違いしてはいけません。
また、人生の中で自分の罪の深刻さに気付かされ、
「自分の罪はあまりに大きすぎる。絶望だ」
などと落ち込む必要もありません。
このパウロの言葉を通して次のことを信じるようになりなさい、
「キリストはたんに想像上のものではない本当に存在する大きな罪のために
死んでくださったのだ。また、すでに克服された罪のためではなく
(なぜなら、どんな人間も天使も一番小さい罪にさえ勝つことができないから)、
打ち勝つことができない罪のために死んでくださったのだ」。
もしもあなたが、この信仰の教えをしっかり保っている私たち、
言い換えれば、その教えを愛し信じている人々の中に入っていないのならば、
あなたの救いはまったく失われています。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)


この悪の世からわたしたちを救い出そうとして(ガラテヤの信徒への手紙 1章4節より)

今の世は悪いため、
自分の行いや力によっては誰も罪を取り除くことができないことを、
この御言葉は教えています。
ヨハネが、「この世全体が悪い者の支配下にあるのです。」、と言う通りです
(ヨハネによるの手紙一 5章19節)。
キリストを差し置いて事を進める場合、
あなたの賢さはその倍の愚かさになり、
あなたの義はその倍の罪や悪行になります。
それは、キリストの知恵や義について無知であるためです。
さらに、あなたの賢さは、キリストの知恵を暗くし、妨げ、侮り、迫害します。
ですから、パウロが世を悪と呼ぶのは正しいのです。
世はそれが最良の時こそ最悪だからです。
真摯な人々、賢い人々、また博識の人々などは
世の最良の部分の具体的な表れといえます。
しかし実のところ、彼らはその美徳の倍も悪い存在なのです。
両親や世の権威などに対する不従順、姦淫などの性的な犯罪、
貪欲、盗み、殺し、嫉妬、怒りなど、
神様の十戒の二枚目の石板に刻まれている律法(第四戒から第十戒まで)
に対するあからさまな罪については、ここではこれ以上触れません。
これらの罪の中に世は完全に沈みこんでいます。
しかしそれらの罪は、
十戒の一枚目の石版に刻まれている律法(第一戒から第三戒まで)
に歯向かう、神様を無視する人々の賢さにくらべたら、
まだ軽い犯罪だというべきでしょう。
人々を霊的な罪に追いやり、
自分は義であるかのように振舞う「白い悪魔」は、
この世でさえ罪だとみなす肉的な罪に
人々を駆り立てる「黒い悪魔」よりも、
はるかに害をもたらします。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)

ルターの著作の翻訳者 高木賢(フィンランド・ルーテル福音協会)
このサイトに引用されているのは聖書新共同訳です。
聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会

Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1987,1988

マルティン・ルター
1483年~1546年
神学者、牧師
宗教改革の創始者