イザヤ書 53章12節

(その方は)多くの人の過ちを担い/背いた者のために執り成しをしたのは/この人であった。(イザヤ書 53章12節より)

私たちはキリストが苦しまれた十字架を
他ならぬ「聖壇」とみなさなければなりません。
この聖壇でキリストは、
御自分のからだと霊とを私たちの罪のために捧げて、
苦しみの只中で祈られました。
それは、
キリストが御自分の牧師としての職務を証して、
私たちを恵みへと導き、罪から引き離し、
永遠の死から解放するためでした。
罪を取り除く方は、死をも取り除かれるのです。
パウロが教えているように、
死は罪の報酬です(「ローマの信徒への手紙」6章23節)。
罪がないところには、死も力を振るうことがありません。
死のないところには、悪魔や地獄もありません。
かわりにそこにあるのは、永遠の義と命と救いです。
キリストが十字架で、
御自分の犠牲と祈りによって、罪を取り去ってくださったいま、
死や悪魔や地獄は、私たちに対してもはや何の権威ももっていません。
(中略)
これは私たちの喜びであり慰めです。
私たちはそれについて心からキリストに感謝し、心を込めて宣教するべきです。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)

ルターの著作の翻訳者 高木賢(フィンランド・ルーテル福音協会)
このサイトに引用されているのは聖書新共同訳です。
聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会

Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1987,1988

マルティン・ルター
1483年~1546年
神学者、牧師
宗教改革の創始者