ルカによる福音書 5章8節

「わたしは罪深い者なのです。」(ルカによる福音書 5章8節)

自分が罪人だと認めない人は、
神様を嘘つきにし、自分を真理にしてしまいます。
これは大きな罪であり、神様を全くないがしろにした行いです。

福音は
賢い者を愚かな者にし、愚かな者を賢くします。
また、
「間違った信仰をもつ者」とあざけられる人を
クリスチャンとし、
自分がクリスチャンである、とおごり高ぶる者を
「間違った信仰をもつ者」にしてしまいます。

私たちクリスチャンひとりひとりの中には、
心の中に「意地の悪い修道僧」がいます。
それは、
自分の行いによって
自分を神様に受け入れさせようとする心であり、
自分の行いによって
自分を聖くしようとする心です。

私たちが自分の欠点を知らなすぎることは、
とてもよくないことです。
もしも自分の欠点を自覚しているならば、
瞬間ごとに祈る切実な理由が
私たちにはあるはずです。
神様は、
聖なる御名によって
私たちに洗礼を授け、
名前を与え、
着飾り、
祝福してくださっています。
私たちは神様の本当の子どもです。
また私たちは、
神様の聖なる御名が(この世で)
ひどく侮辱されるのを目にしています。
しかし、
御名への侮辱に対して
はっきり反対の声を上げるクリスチャンが、
いったいどこにいますか。
私たちは、
自分がどれほど弱く
悪魔や肉に妨げられているか、
見てきているわけですから、
神様の御国が近づいてくださるよう、
日々祈るべき時は
すでに来ているのです。

自分の心配事を神様にお任せしなさい。
祈りつつ助けを求めながら、
神様の御許へと向かいなさい。
自分で心配することで得ようとしていたすべてのことを
神様が取りはからってくださるよう、
神様に祈りなさい。
あなたがたのことを世話してくださり、
あらゆる心配を引き受けてくださる
神様がいらっしゃることを感謝しなさい。
しかし、
このように行なわない者は、
自分の理性によって物事をはかり、
自分の考えによって物事を進めようとし、
心配事を自分で背負い込み、
自分を何重にも惨めな状態に追いやり、
神様の中の喜びと平和を失ってしまいます。
しかもその人は、
自分では何も成し遂げることができません。
それどころか、
砂の中に穴を掘って、
その中に深く落ち込んでいくばかりで、
そこから出ることもできません。
(ルターの信仰生活アドヴァイス)

ルターの著作の翻訳者 高木賢(フィンランド・ルーテル福音協会)
このサイトに引用されているのは聖書新共同訳です。
聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会

Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1987,1988

マルティン・ルター
1483年~1546年
神学者、牧師
宗教改革の創始者