十戒

十戒についての祈り

「主の祈り」を祈る前に、時と機会が許せば、
私は十戒についても「主の祈り」と同じようなことを行います。
できうるかぎり正しく祈るための準備をするために、
十戒を一節ずつ取り上げます。
そして、それぞれの戒めについて、
4部あるいは4層を互いに結び合わせた「小さな冠」を作ります。

つまり、こういうことです。

それぞれの戒めを
まずはじめに「教え」として扱います。
戒めはそれ自体「教え」なのですから。
そして、主なる神様が私に、
それを通して何をどれほど真剣に要求なさっているか、考えます。

次に、それについて「感謝」します。

第三番目に、「罪の告白」をします。

第四番目に、戒め自体の言葉によって、
あるいは、戒めと同じ方向の考えや言葉によって、
「祈り」ます。

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「私は主、あなたの神である。
あなたには、ほかの神々があってはならない。」(第1戒)

永遠なる神様、あなたは、
すべてにおいて御自分に心から信頼することを、
私に教え、要求なさっています。
あなたは、「私の神でありつづけたい」、という真に堅い意志をおもちです。
私も、あなたが私の神様であることを受け入れなければなりません。
さもないと、永遠の救いを失ってしまいます。
私の心は、あなた以外の何ものにも、
よりどころを求めたり、信頼を寄せたりしてはなりません。
たとえそれが、
自分がもっているものや、栄光や、頭のよさや、
力や、聖さや、他の何であろうとも。

次に、私は、あなたのかぎりない憐れみを感謝します。
あなたは真の父親にふさわしいお方です。
あなたに祈りもせず、あなたを求めもせず、
あなたから褒美をいただくようなことをしたこともない
私のような失格者のために、
あなたは低みに下ってきて、私の神様となり、
私の面倒を見ることを、御自分から申し出てくださいました。
そして、あなたは、
「困ったときには、いつでも私の慰めと守りと助けと力になろう」、
と言ってくださいました。
霊的なことが見えない惨めな人間である私たちは、
今までさまざまな偶像を探し求めてきました。
もしもあなた御自身が、
「私たちの神様でありつづけたい」、ということを、
人間の言葉によって私たちに公に告げてくださらなかったならば、
今でも私たちは偶像を追い求めつづけていることでしょう。

第三に、私はざんげし、
自分の大きな罪と感謝のない心とを告白します。
そのようなすばらしい教えと大いなる賜物を、
私は生涯を通して恥ずべきやり方で侮ってきたのであり、
数え切れないほどの偶像によって、
あなたの怒りを自分の上にかきたててきたのです。
私はそのことを悲しんでおり、憐れみをこいねがいます。

第四に、私は祈ります。
私の主、私の神様、あなたの恵みにより、
私があなたのこの戒めを日々よりよく学んで理解し、
心からの信頼によって、戒めどおりに行うことができるように、
助けてください。

私がもうあなたのことを忘れたり、
あなたへの感謝をやめたりしないように、
また、いかなる偶像も捜し求めたりしないように、
この世やあなたが造られたほかの如何なるものからも
慰めを得ようとしたりはしないように、
私の神様であるあなたお一人の中のみに留まることができるように、
どうか私の心をお守りください。
愛する主、父なる神様。
アーメン。

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それから、もしもまだやる気と時間がある場合には、
第2戒を次のように4つの層に分けます。

「あなたの主なる神様の御名をみだりに唱えてはならない。」(第2戒)

愛する神様、
ここであなたは私に次のことを教えてくださっています。
すなわち、
私は、あなたの御名を
貴く聖なる素晴らしいものとみなさなければならないこと、

私は、御名を通して悪を望んだり、
間違った誓いをしたり、
うそをついたり、
傲慢になったり、
自分自身の栄光を求めたり、
自分の名前が有名になるのを望んだり
しないこと、

私がへりくだって、
あなたの御名に助けを求め、
祈り、
感謝し、
賛美すること、
御名のみに私の栄光と賛美を帰することです。
というのは、
あなたは私の神様であり、
私はあなたの造られた取るに足りない存在で、
あなたにはふさわしからぬ僕だからです。

第二に、私は、次のような貴い賜物について感謝します。
すなわち、
あなたは私に御自分の御名を告げて与えてくださっていること、
私は、「神の僕」や「神の被造物」という名をいただいている者として、
あなたの御名を誇ることができること、
あなたの御名が、私にとっても、
信仰によって義とされた者が守りを求めて
急いで駆け込める避難所であることです。

第三に、私はざんげし、
この戒めに対して自分の人生の中で行った恥ずべき大きな罪を告白します。
たとえば、私は、
あなたの聖なる御名に助けを求めて叫ぶことを怠ったり、
感謝しなかったり、敬わなかったりしました。
また、私は、(御名という)この賜物について、
感謝もしないまま、悪を望んだり、
うそをついたり、だましたりすることで、
あらゆる恥ずべき罪のために誤用しました。
それを、私は悲しんでいます。
そして、憐れみと罪の赦しをいだけるように祈ります。

第四に、私は、あなたの戒めをこれからよく学んでいくため、
助けと力とをいただけるように祈ります。
愛する主よ、聖なる御名に対する、
恥ずべき感謝のない心や、誤った用い方や、罪から、
私をお守りください。
私が、感謝の心を持ち、御名を本当に畏れ敬っている、
と認められる者となれるよう、助けてください。
アーメン。

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前に「主の祈り」の説明の箇所で言いましたし、今もまた助言しますが、
上記のような考えが心に浮かんでいるときに、
聖霊様が来られて、あなたの心に、
さらにはっきりとした多くの考えを宣べ伝えてくださることがあります。
そのような場合には、聖霊様に栄光を帰しなさい。
そして、自分のそれまで考えていたことは脇において、心をしずめ、
あなたよりもはるかによいお祈りをなさる聖霊様に耳を傾けなさい。
聖霊様が説教なさることをよく聴いて覚えなさい。
そうすれば、ダヴィデが歌っているように(たとえば「詩篇」72篇17~19節)、
あなたは神様の戒めについて奇跡を目撃することになるでしょう。

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「安息日を覚えて、これを聖とせよ。」(第3戒)

愛する神様、
安息日が定められたのは、
その日に私たちが怠けたり、この世的な欲をみたしたりするためではなく、
安息日を聖とするためであることを、
あなたはここで私に教えてくださっています。
しかし、私たちの仕事や活動によっては、
安息日が聖とされることはありません。
なぜなら、私たちの仕事は聖なるものではないからです。
神様の御言葉のみが完全に清く聖なるものであり、
それと関わり合うもの(時、場所、人、仕事、休息など)を
全て聖なるものとします。
そのようにして、私たちの仕事もすべて聖なるものとされます。
ちょうど、パウロが、
「御言葉と祈りによって、すべては聖なるものとされる」
(「テモテへの第一の手紙」4章5節)、と言っているように。

それゆえ、私はここで告白します。
安息日には、第一に神様の御言葉を聴いて研究しなければなりません。
それから、神様の善きみわざについて主に感謝と賛美をささげ、
また自分自身と全世界のために祈らなければなりません。
このようにして安息日を過ごす者は、安息日を聖なるものとしています。
そのように行わない者は、
安息日に体を動かす仕事を行っている者よりも
さらに悪いことをしているのです。

第二に、愛する主なる神様、私はあなたの貴いみわざと恵みを感謝します。
あなたは私たちに御言葉とその説教を与えてくださいました。
そして、とりわけ安息日には御言葉をよく学ぶように命じておられます。
御言葉を十分に研究し尽くすことができる人は誰もいないのですから。
あなたの御言葉がこの世の生活の暗闇の中にある唯一の光です。
御言葉は、命の言葉、慰めの言葉、すべての救いの言葉です。
愛すべき健康な御言葉がないところには、
実際に私たちが毎日目にしているように、
おぞましく恐ろしい暗闇と迷妄、異端の分派、死、
あらゆる不幸、悪魔の専横があるばかりです。

第三に、私はざんげし、
自分の大きな罪と、恥ずべき感謝に欠けた心を、告白します。
私は今までの人生で、安息日をとても恥ずべきやり方で過ごしてきました。
高価で貴い御言葉をひどく軽んじてきました。
御言葉を聴くことについて、私は怠惰で意欲がなく、飽き飽きしていました。
もちろん、心から御言葉を欲したり、
それについて感謝したりすることなどは、ありませんでした。

愛する神様、私は、
あなたが私に対してなさった説教を無駄にしてきたのであり、
この貴い宝を見捨て、足で踏みつけてきたのです。
しかし、これら一切のことを、
あなたは神様にふさわしい善き性質によって耐え忍んでくださいました。
そして、あらゆる父親と神様にふさわしい愛と誠実さによって、
私の魂の救いのために、御言葉を声高らかに説教するのを、
今に至るまで休みなく続けてくださっています。
私は自分の状態を悲しんでいます。
そして、憐れみと罪の赦しを祈ります。

第四に、私は、自分と全世界とのために祈ります。
愛するお父様、どうか私たちを
あなたの聖なる御言葉の光の中に保ってください。
私たちの罪や感謝のない心や怠惰のゆえに、
御言葉の光を私たちから取り去らないでください。
私たちを異端の分派や誤った教えからお守りください。
私たちに忠実な真の働き人を、
あなたの福音の実を収穫するために派遣してくださいますように。
この「働き人」とは、
神様に適格と認められた忠実な教会の責任者や説教者のことです。
また、私たちが彼らのメッセージを、
あたかもあなた御自身の御言葉であるかのように受け止め、
恭順な姿勢で聴き入り、身につけ、敬うことができるように、
そして、私たちが生きている限り、
そのことについて絶えず心からあなたに感謝し、
賛美することができるように、
私たち皆に恵みをお与えください。

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「父と母を敬え。」(第4戒)

第一に、私は、
あなたが私の造り主なる神様であられることを学びます。
いとも不思議なやり方で、あなたは私の身体と魂をお造りになりました。
私の両親を通して、私に命を与えてくださいました。

両親が私を、
自分自身の体の実として全力で守り、
この世に産み、
養い、
可愛がり、
世話をし、
熱心に気を配り、
慎重に、労苦を重ねつつ育てていく、
という心を、
彼らにお与えになりました。

今この瞬間にいたるまで、いつでもあなたは、
御自身の被造物なる私という存在を、
その身体と魂を、
数多の危険や困難から守って来られました。
そして、
あたかも一瞬ごとに私を新たに創造なさっているかのように、
危険や困難から私を助け出してくださったことがしばしばありました。

ほんの一瞬たりとも、
悪魔は私たちが生命を保つのを許そうとはしないにもかかわらず。

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第二に、私は、富裕であり善き造り主なるあなたに対して、
私自身や全世界のために感謝を捧げます。
この戒め(「父と母を敬え」)によって、あなたは、
人類が絶えず更新され維持されていくように、基を定めてくださいました。
すなわち、家族と社会のことです。
これら二つの仕組みがなければ、
この世界は一年たりとも存続しないことでしょう。
この世を支配する仕組みがなければ、平和もありえないからです。
そして、平和がないところには、家族という秩序もないのです。
そして、家族という秩序がないところでは、
神様の秩序に基づいて子供を生んだり育てたりすることはできないし、
父親や母親という社会的な位置づけも完全に消えてしまうほかはありません。
ところが、あなたは、
この戒めに基づいて家族と社会が存続するように配慮なさっています。
そして、子供や部下が、親や上司に対して忠実であるように、
命じておられます。
また、戒めが実現するように見守っておられます。
もしも戒めがきちんと実現しない場合には、
そのことを罰しないままではおかれません。
もしも神様からの罰がないならば、
とっくの昔に、子供たちは、親の言うことを聞かずに、
家族の秩序全体をだめにしてしまったことでしょう。
また、部下は反乱を起こして社会の秩序を乱したことでしょう。
子供や部下は、両親や上司よりもはるかに人数が多いからです。
ですから、あなたのこの善き御業は、
言葉ではとても表せないほど素晴らしいです。

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第三に、私はざんげします。
私は、自分の意地の悪い反抗的な態度と罪とをあなたに告白します。

我が御神の戒めに反して、
私は自分の両親を敬わず、従順に仕えず、
怒らせるようなことを何度も行い、深く悲しませさえしました。
さらに、彼らの懲罰を甘んじず、批判しました。
反抗的な態度で、彼らの親身な警告を無視し、
しばしば好んで浅はかなパーティーに出かけ、悪い仲間と付き合いました。

あなたは、親の言うことを聞かないこのような子供を呪われ、
長く生きながらえるようにはなさいません 。
実際、恥ずべき堕落に身を落とし、
成人する前に死んでしまう若者がたくさんいるのです。

父親や母親の言うことを聞かない子供は、
死刑執行人の命令に従わなければならなくなります。
あるいは、神様の怒りにふれて、惨めな最期を遂げることになります。

これらすべてのことを、私は悲しんでいます。
そして、憐れみと罪の赦しを乞い願います。

第四に、私は自分自身と全世界のために祈ります。
あなたが私たちに恵みを貸し与えてくださいますように。
また、豊かな祝福を私たちの家族と社会に与えてくださいますように。
それによって、私たちがこれからは、
神様に喜ばれる者、両親を敬う者、
社会の重責を担う人々に忠実な者になれますように。

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私たちが、不忠実と無秩序へと煽り立てる悪魔に
追従せずに対抗するようになさってください。

あなたへの感謝と栄光、自分自身および皆の益となるべく、
私たちが全力で仕事をして、
民が悔い改めて平和を維持する手助けをさせてください。
また、私たちが、
これらすべてのことをあなたからの賜物と知って、
感謝できるようになさってください。

両親や社会組織の責任者に、
心安らかに喜んで私たちを指導し支配するのに
必要な洞察力と知恵とを貸し与えてください。
権力を乱用したり、怒って残酷に振舞ったりしないように、
彼らを守り、それらから遠ざけてください。
あなたの御言葉を敬い、キリスト信仰者を迫害せず、
誰に対しても間違ったことを行わないように、
彼らを助けてください。

これらが実現しないところでは、
悪魔がそこの最高司令官になっており、
羽目のはずれた悪い行いが付随するからです。

もしもこれを読んでいるあなたが父親や母親ならば、
自分や子供たちのことを忘れないで、真剣に次のように祈りなさい。

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愛するお父様、
あなたは自らの御名と職務の栄光のために、
社会における立場を私に与えてくださいました。
さらに、私が親と呼ばれ、親として敬われるように、
あなたは望んでおられます。

神様に喜んでいただけるように、
キリスト信仰者にふさわしいやり方で、
配偶者と子供たちに支えを配り、
彼らを養っていくことができるように、
あなたの恵みと祝福とを私に貸し与えてください。

家族に良い教育を施すことができるように、
あなたの知恵と力を私にお与えください。
あなたの教えに従順であるように、
善い心と素直な意志を彼らにお与えください。

子供たちが順調に成長して、ちゃんとした生き方ができるのは、
ひとえにあなたからの賜物です。

あなたからの支えがなければ、家族という秩序は壊れてしまいます。
それは、
神様をないがしろにして悪い生活をしている人々の有様をみれば、
わかることです。

ですから、どうか私たちを御恵みの中に保ってください。
アーメン。

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「殺してはならない。」(第5戒)

第一に、ここであなたは私に教えてくださっています。

愛する神様、
あなたは私が隣り人を愛するように要求なさっています。
それは具体的には次のようなことです。
私が隣り人に対して、
身体的にも言葉や行いによっても何も悪いことをしないこと、
また、隣り人に対して、
怒ったり、忍耐できなくなったり、
嫉妬したり、故意に意地悪したり、
何か他の悪さをすることで、
復讐したり、損害を与えたりはしないこと、
そして、人生のいかなる局面でも、必要に応じて、
隣り人を適切な助言によって助ける義務があることを、
留意しつつ行動することです。

この戒めによって、
あなたは
私に隣り人の身体を守るという義務を与え、
また、隣り人には私の身体を守る義務を与えておられます。

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第二に、あなたが私を、
言葉では言い表せないほど、
誠実に愛し世話してくださることを感謝します。

あなたは、私の身体の周りに、強大な防壁を築いてくださっています。
それによって、
すべての人は私を守り保ち、
同様に、私のほうでも他のすべての人を守り保つように、
義務付けられているのです。
あなたもまた、このルールが守られるように見張っておられます。
もしもそれが守られないならば、
あなたは、規則を破る者たちを罰するために、剣を用意なさっています。

ここで、
仮にこのようなあなたの戒めが存在しなかったとしましょう。
その場合には、
悪魔が私たち人間の只中で殺し合いを行わせて、
誰一人、一瞬たりとも安心して生きていけないようにすることでしょう。
あなたに耳を傾けず感謝もしないこの世をあなたが怒って罰する時には、
実際にこのようなことが起こるのです。

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第三に、私はざんげします。
そして、自分自身とこの世の悪さを嘆きます。

私たちには、このようなあなたの父親的な愛と配慮に対して、
感謝の気持ちがまったくないのです。

恥ずべきことに、私たちはあなたの戒めと教えを知らないし、
学びたいとも思っていません。

私たちは、この戒めを
自分には何の関係もないものであるかのように考えて、軽視しています。
私たちは、少しも反省しないまま、以前と同じ生活を続けています。

この戒めに反して、
私たちは隣り人を軽んじて助けようとせず、
さらには迫害し傷つけ、あるいは心の中で殺しさえしています。
しかも、そのようなことをしても、心を痛めたりしません。

私たちは、激しい怒りやあらゆる悪に身をゆだね、
そうすることで
自分が正しくよいことをやっているかのようにさえ思い込んでいます。

神様の真剣な戒めに対して畏れを抱きもせずに、
私たちは、獰猛な野獣のように、
互いに蹴ったり退けたり、切り裂き引っ掻き、
噛みつき食いつき合っています。

私たちは、悪い子どもです。
ちゃんと物事が見えず、凶暴で、不親切な人間です。

ですから、
このような私たちが自分の悲惨さについて、
嘆きの叫び声をあげるのは、いたって当然なのです。

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第四に、愛するお父様、私はあなたに祈ります。
あなたの戒めを理解することができるように、
私たちに恵みを貸し与えてください。
そして、
この戒めに基づいて行動し生活して行けるように、
私たちを助けてください。

あらゆる殺しと傷害の親玉である、
あの「殺し屋」(悪魔のこと)から、
私たち人間皆を守ってください。

この戒めが教え、義務付けている通りに、
私たち人間が、
優しく気立てよく親切に接し合い、
心から赦し合い、
互いの欠点や弱さをキリスト信仰者の兄弟愛をもって忍耐し、
真の平和の中で心を一つにして生きて行けるように、
あなたの恵みを豊かにお与えください。

アーメン。

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「姦淫してはならない。」(第6戒)

愛するお父様、
ここであなたは、私に対して、
どのようなことを考え、また望まれているか、
教えてくださっています。

あなたが私に望まれているのは、次のことです。
私は、思いや言葉や行いにおいて、
慎み深く、きよく、節度を持って、
生活しなければなりません。
結婚相手や子どもを侮辱してはいけません。
逆に、彼らの誉れと慎みがよりよく保たれるように、
全力を尽くさなければなりません。
たとえば、彼らからその名誉を奪うような口さがない言動を
やめさせなければなりません。
これらすべてを行う義務が、私にはあります。

さらに私は、
自身の結婚相手と子どもたちの名誉を守るだけではなく、
彼らが清いままでいられるように助けなければなりません。
私の隣り人たちがこれらのことを実行し、
この戒めを私と家族に対して遵守してくれることを、
私が望んでいるのと同じように。

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第二に、忠実な愛するお父様、あなたの恵みと善性を感謝します。

この戒めによって、
あなたは私の結婚相手と子どもを守ってくださっています。
そして、彼らを侮辱してはいけない、と厳粛に命じておられます。

あなたはここで私に、確かに保護するという証書を与えて、
それが神聖なものとして受け取られるように目を見張らせておいでです。
またあなたは、この戒めと保護状を破る者を罰せずにはおかれません。
誰もあなたから逃れることはできません。

この戒めを破った者は、肉欲の罪の結果として、
処罰をこの世で受けるか、
あるいは、
この世では処罰を受けないで済む場合であっても、
最終的には地獄の火の中で苦しまなければなりません。
なぜなら、
あなたは慎み深く清い生き方を要求なさっており、
結婚を破る行為には容赦なさらないからです。

悔い改めない慎みに欠けた者たち皆に対して、
ついにはあなたの怒りが降り注ぎ、
悲惨で屈辱的なやりかたで彼らを滅ぼすことを、
私たちは日々、実際に目にしてきました。

あなたの戒めがなければ、
慎みを知らない悪魔から
自分の結婚相手や子どもたちを慎み深く品行方正に保つのは、
一瞬たりとも不可能なことです。

あなたが怒って御手を遠ざけ、
人間のなすがままになさるならば、
人は動物的な欲望に引きずり回され続けるほかありません。

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第三に、私はざんげします。

私が生涯を通じて、
思いや言葉や行いによってこの戒めを破ってきたという、
私自身の罪および世界全体の罪をあなたに告白します。

このすばらしい教えと賜物に対して、
私は感謝せず、神様に反抗を繰り返してきました。

神様は、慎みと清さを保つように命じておられます。
そして、いかなる慎みに欠けた態度や姦淫についても、
罰しないままで放置なさることはありません。
それなのに、私は結婚を軽侮し、裁いてきたのです。

この戒めに対する罪は、
他のどの戒めに対する罪にも増して悪質で、
隠されたり美化されたりせずに、
一番よく知られている罪です。
このことについて、私は深い悲しみを覚えます。

第四に、私はあなたに、自分自身と全世界のために祈ります。

この戒めを喜びと愛をもってみたすことができるように、
私たちに恵みを与えてくださいますように。
それによって、私たちが、慎み深く生活し、
他の人々もそのような生き方ができるように、
言葉と行いによって手助けできるようになりますように。

あなたから癒しと慰めを受け、強めていただくために、
私は今、御許に参ります。

アーメン。

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同様に、他の戒めに関しても、
時間と場所の余裕と祈る力とがある場合には、私は祈りを続けます。

前にも言ったように、
私は自分の言葉や考えに他の人を縛りつけようとは思いません。
ただ自分のやり方を一例として挙げたにすぎません。
それに倣いたければ、倣えばよいし、
できることならさらによいやり方で、
すべての戒めを、あるいは自分の好きなだけ多くのことがらを、
一度に祈るのがよいでしょう。

人は何らかの(それが良いものか悪いものかには関わりなく)
興味の対象ができると、
本気になって、
口が10時間で話したり
手が10日間で書いたりするよりも多くのことを、
一瞬のうちに思い巡らしたりするものです。
それゆえ、
もしも人が趣味として祈ろうとするならば、
瞬く間に、十戒を4つの部分[教え、感謝、罪の告白、祈り]に分けて祈ることができるでしょう。

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「盗んではならない。」(第7戒)

第一に、あなたはここで私に教えてくださっています。

私は隣り人の持ち物を、
その人の意思に反して、密かにあるいは公然と、
奪い取って自分のものとしてはいけません。
また、
商売したり人に仕えたり仕事をしたりするときに、
泥棒が他人のものを奪うように、
不正直なことを行い、相手を欺くのもいけません。

それとは逆に、
私は額に汗して生活費を稼ぎ、
万事において正直な態度を通し、
自分のパンを食べるべきなのです。

また、私は、
自分のものも、隣り人のものも、
上に述べたようなやり口で奪い取られてしまわないように、
助け合わなければなりません。

ここで私は次のことも学びます。
この戒めによって、
私から何も盗んではいけない、
とあなたは命じておられ、
父親にふさわしい配慮をもって、
まったく真剣に、
私の持ち物が安全に守られるようにしてくださいます。

あなたの戒めが守られないところでは、
あなたは罰を定めて、厳しい刑罰を用意なさいます。

盗人が捕まらない場合であっても、
あなた御自身が罰してくださるので、
この戒めを破る者はしまいには乞食になるほかありません。

ことわざにもあるように、
若い時に平気で盗む者は、
年老いて物乞いをして回ることになるし、
不正に手に入れたものは役立たないし、
すぐになくなってしまうものです。

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第二に、私は、あなたの忠実と善性を感謝します。
あなたは私と全世界に本当によい教えを与えてくださいました。
そして、その教えによって防御してくださっています。
もしもあなたが守ってくださらなければ、
どの家もお金や食べ物がなくて困るようになるでしょう。

第三に、私は、自分の罪と感謝に欠けた心とをあなたに告白します。
人生の歩みの中で、私は、
他の人たちに対して不正を働いたり、
悪い態度を取ったり、
不正直に振舞ったりしました(等々)。

第四に、愛するお父様、私はあなたに祈ります。
私や全世界が、
この戒めを学んで心に刻み、悔い改めるように、
恵みをお与えください。
それによって、
盗み、略奪、暴利のむさぼり、不正直、不正などが
減っていきますように。
「ローマの信徒への手紙」8章19節にあるように、
すべての聖徒と被造物は
「最後の裁きの日」をうめきつつ待ち望んでいます。
かの日が、すぐにでも前述した悪事に対して、
完全な終止符を打つことになりますように。
アーメン。

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「隣り人について間違った証言をしてはならない。」(第8戒)

愛するお父様、ここであなたは、
私たちが互いに「真理の人」として、
あらゆる虚偽と悪口を避けるように、
そして、
他の人たちについて喜んでよいことを話し聞くことができるように、
教えてくださっています。
こうしてあなたは、
私たちの名誉と無実さの周りに防壁をめぐらして、
悪い狼や悪口から守ってくださっています。
そしてあなたは、それらの悪を罰せずにはおかれません。

それゆえ、私は、
深い憐れみによりあなたがくださったこの教えと守りについて、
あなたに感謝します。

第三に、私はざんげし、憐れみを乞います。
私は今までの人生で、
感謝の心もなく、罪深く、偽りの中で生きてきました。
隣り人について、間違ったことや悪いことを話してきました。
本来なら、私には彼らの名誉と無実さを守る義務があるところです。
しかも、私は、自分に対しても、
周りの人が同じように正しい態度で接してくれることを
期待しているのです。

第四に、私は、
この戒めをこれから守っていくため、
あなたが助けてくださるように祈ります。
バランスの取れた、悔い改めに導くような話し方を、
私たちに授けてください。
それによって、いつでも私たちの話が、
受け入れやすくなるように、塩で味付けされたものにするためです。
また、私たちが、
自分のもっている希望の根拠について真剣に尋ねる人たちに対して、
いつでも答えられるように、用意を整えておくためです。

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「あなたの隣り人のものである、
家や結婚相手や使用人や家畜やその他のものを、
欲してはならない。」(第9・10戒)

愛するお父様、ここであなたは私たちに教えてくださっています。
私たちは、何らかの権利に依拠して、
私たちの隣り人に属するものを奪ったり、
自分のほうに誘惑したり、
隣り人から引き離したりしてはいけないのです。
むしろ逆に、私たちは、
隣り人が自分のものを維持できるように助けなければなりません。
ちょうど私たちに対しても隣り人がそのようにしてくれることを、
私たちが心から望んでいるようにしてです。
この戒めはまた、
この世の中の知者たちの仕組む悪賢い罠と策略から、
私たちを守るために与えられているものです。
そして、結局は彼らは罰を受けることになるのです。

次に、私はあなたに感謝します。

そして、自分の罪を悔い悲しみ、それをあなたに告白します。

私は、自分が信仰をもってこの戒めを守る者となるために、
あなたに助けと力を祈り求めます。
それによって、私が、
あなたの恵みを通して、 真心を込めて働き、
隣り人のことも自分と同様に愛する姿勢を学ぶためです。
アーメン。

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十戒について祈ること

今まで、十戒についての祈りを紹介してきました。
それぞれの祈りを、
教科書や、賛美歌集や、
堅信キャンプの手引書や、祈りの本などでの
説明のやり方と同じようにして、
四つの層に分けて説明してきました。

これらの説明が皆さんの心に触れて、
熱心に祈る力が与えられることを希望します。

ただし、
すべてについて、あるいは、あまりにも多くのことについて、
いっぺんに祈ろうとして、
疲れてしまわないように気をつけてください。

深い祈りは、
冗長なものだったり、
むやみに引き伸ばされたものであったりしてはいけません。
深い祈りは、
心燃えて新たな気持ちで祈りにとりかかる、
ということが頻繁に繰り返されるものでなければなりません。

ひとつの祈りか、あるいはその半分の祈りでも、
もしも本気で祈るならば、
心の中に火花を点火するには十分なのです。
しかし、これは御霊による働き以外の何ものでもありません。

御霊は、
まず心を御言葉によってきれいにして、
御霊とは関わりのない他の活動や思いから解放し、
御自分の働きを心に教えてくださるのです。

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ルターの著作の翻訳者 高木賢(フィンランド・ルーテル福音協会)
このサイトに引用されているのは聖書新共同訳です。
聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会

Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1987,1988

マルティン・ルター
1483年~1546年
神学者、牧師
宗教改革の創始者