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ペトロの手紙一 2章16節

自由な人として生活しなさい。しかし、その自由を、悪事を覆い隠す手だてとせず、神の僕として行動しなさい。(ペトロの手紙一 2章16節)

クリスチャンは次のように言ってはいけません、「律法から自由になっているのだから、自分のやりたいことを私は今やるんだ」。クリスチャンはそれとは正反対の仕方で話しまた行動しなければなりません、すなわち、今の自由の状態から、かつて律法や神様の怒りの下で苦しめられていた罪の奴隷状態へと逆戻りしたり、命から死へとふたたび落ち込んだりしないために、クリスチャンとして罪を恐れて避けなければなりません。
(マルチン・ルター、宝石箱)

ガラテヤの信徒への手紙 5章1節

この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。(ガラテヤの信徒への手紙 5章1節)

見なさい!これが真にキリスト教的な「あがないと解放」です。すなわち、私たちは律法や律法による裁きや罪や死から、キリストのゆえに、贖われ自由にされたのです。それは、律法や死がもはや存在しなくなった、という意味ではなく、それらがまるで存在しないかのように無力になっている、ということです。律法が私たちを罪へと引きずっていくこともなければ、死が私たちを困惑させることもありません。信仰が私たちを義や永遠の命へと導いていくからです。
(マルチン・ルター、宝石箱)


クリスチャンは「ごくまれな鳥」です。
「クリスチャンの自由」の意味を
本当にわかっている人はごくわずかです。
多くの人は、
それが肉的な(欲求を満たす)自由であると誤解しています。
しかし、
本来それは良心と魂の自由なのです。
あなたは心や善悪の判断力が清くも義しくもありません。
ですから、もし清く義しくなり救われたいのなら、
王なるイエス・キリストを通してのみ、
自分が清く義しくなり救われることを、
あなたは告白しなければなりません。
あなたのために十字架で流してくださったキリストの血を通して、
あなたはそうした者になれるのです。
そして、それこそがあなたを自由にします。

クリスチャンはすべてにおいて自由な主人であり、
誰の僕でもありません。
一方では、
クリスチャンにはすべてに仕える義務があり、
すべての僕です。
 
神様との関係では、
あなたはすべてにおいて信仰を通して自由です。
しかし、
人々との関係では、
あなたは愛のゆえにすべての僕です。

(マルチン・ルター、信仰生活アドヴァイス)

ルターの著作の翻訳者 高木賢(フィンランド・ルーテル福音協会)
このサイトに引用されているのは聖書新共同訳です。
聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会

Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1987,1988

マルティン・ルター
1483年~1546年
神学者、牧師
宗教改革の創始者