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ガラテヤの信徒への手紙 1章6節

キリストの恵みへ招いてくださった方から、あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています。(ガラテヤの信徒への手紙 1章6節)

クリスチャンに対して迫害や破壊によって危害を加えることができないときには、
逆に改善や建設によって危害を及ぼすのが、悪魔ならではの策略です。
それを知っておきましょう。
悪魔は今日まで私たちを暴力によって滅ぼそう、福音の光を消そう、
とやっきになってきましたが、失敗しました。
悪魔は幾人かのクリスチャンを殺しましたが、
彼らは皆、私たちの教えを神様の御心にかなう聖なる教えであると告白しました。
彼らの血によって、教会は滅ぼされるどころか、強められたのです。
悪霊は、このやり方ではうまくいかなかったので、
今度は神様を侮辱する偽教師たちを起こしました。
彼らは、はじめは私たちの教えを認めて、
私たちと心をひとつにしてそれを教えていましたが、
後になって態度を変えました。
彼らは、
「お前たちの使命はキリスト教の初歩を教えることだ。
しかし、我々には神は聖書の真の奥義を啓示した。
だから、我々の使命はこの奥義を世に伝えることなのだ」、
と主張したのです。
このようなやり方で悪魔は、右からも左からも福音の勝利の歩みを妨げようとします。(中略)
それゆえ、私たちは、左右から攻めてくる悪魔の騙しの策略に勝つために、
絶えず祈り、読み、キリストと御言葉に留まらなければなりません。
私たちの戦いの相手は血や肉ではないからです(エフェソの信徒への手紙 6章12節)。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)

使徒言行録 20章30~31節

また、あなたがた自身の中からも、邪説を唱えて弟子たちを従わせようとする者が現れます。だから、わたしが三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい。(使徒言行録 20章30~31節)

もしも分派分裂がなければ、
私たちは怠惰になり寝ぼけて、
しまいには、信仰も御言葉も曇り錆びてしまうでしょう。
ところが、今出現している分派分裂は、
いわば私たちや私たちの信仰や教えをピカピカに磨き上げて、
鏡のように滑らかに光を反射するようにさえします。
私たちは分派分裂を通して悪魔やその考えを知り、
それとうまく戦うことができるようになります。
結果的に、御言葉自体がそれらを通じて
どんどん明瞭に前面に出されることになるので、
多くの人が公になった争いを通して真理を知り、真理の中で強められます。
神様の御言葉はいつでも非常な効力をもっています。
それゆえ、神様は御言葉を強力な手段として用いて、
悪魔や世を駆り立てて御言葉に反抗させ、
そうして御言葉の力と価値を公に示し、
虚偽が恥じ入るようになさるのです。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)

使徒言行録 3章23節

この預言者に耳を傾けない者は皆、民の中から滅ぼし絶やされる。(使徒言行録 3章23節)

「信仰による義」の教え[1]なしには、
聖霊様は私たちと共にいることはできないし、いたいとも望まれません。
聖霊様の働きは、キリストを輝かしく明示することだからです。
この信仰義認の教えを聴き入れないこの世は、その罰として、
洪水や戦争やそのほか地上の災害などによって苦しめられなければなりません。
一方、アベルはこの信仰義認の教えを信じていたために命を失いました。
同じ信仰のゆえに、聖徒は皆、死ぬことになりました。
私たちクリスチャンもまた
彼らと同じような目に遭うことを覚悟しておくべきでしょう。
世の激しい反対にもかかわらず、この信仰義認の教えは正しいのです。
しかし、それは世にとっては、いつまでたっても「躓きの石」のままです。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)
  
[1] イエス様が私の罪のために十字架で死んでくださった、という信仰によって神様に義と認めていただけるという教えのことです。

マタイによる福音書 5章44節

しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。(マタイによる福音書 5章44節)

ここでは、
御言葉を聴く人と御言葉を説教する人とを区別しなければなりません。
御言葉を聴く人はいつも、
彼らを傷つけ迫害する人のために祈らなければなりません。
しかし、
御言葉を宣教する人は、
与えられている職務に従って懲罰し、
律法を説教しなければならない時があります。
同情心から叱らないでおくのは、正しい態度ではありません。
それにより、悪を支持することになってしまうからです。
福音を迫害し、自分が強いと思い込み、
福音を足蹴にする私たちの敵に対して、
「立派な方々、神様があなたがたの義しさと聖さに報いてくださるように」、
などと言ったり、
彼らの悪行について沈黙を守り、
彼らに屈服し、
その足に口づけするようなら、
私は悪を支持することになってしまいます。
そうであってはなりません。
愛する友よ、
噛まなければいけない時には、ちゃんと噛むことができるように、
説教者の口には「歯」が必要です。
真実を美化せずに公に伝えるために、
説教者のメッセージには「塩」があるべきです。
もしも人々がその説教者の話を聴こうとしないなら、
説教者は彼らに対して天を閉ざし、
「地獄の火にふさわしい者よ」、と宣告するべきなのです。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)

詩編 50編16節~17節

神は背く者に言われる。「お前はわたしの掟を片端から唱え/わたしの契約を口にする。どういうつもりか。お前はわたしの諭しを憎み/わたしの言葉を捨てて顧みないではないか。(詩編 50編16節~17節)

父と御子と聖霊の御名や御言葉を誇ったり、
同じ信仰を告白しているかのように見せかける人々がいます。
実際のところ彼らはそれぞれお互いにまったく異なっています。
このような人々の間で、私たちは生きていくほかありません。
しかし、この現実につまずかないようにしましょう。
彼らは皆、同じ(クリスチャンという)名前をもっていますが、
ある人たちは偽りのクリスチャンであり、
またある人たちは真のクリスチャンなのです。
しかし、この二つのグループを識別するために、
キリストの信仰の福音の教えが余分な付加なく純粋に実践されているのはどこか、
また、この教えがその結実としてよい行いを生み出しているのはどこか、
さらに、それとは正反対に、
福音と信仰が口先だけで告白されているのはどこか、
私たちはよく目を凝らさなければなりません。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)

ルターの著作の翻訳者 高木賢(フィンランド・ルーテル福音協会)
このサイトに引用されているのは聖書新共同訳です。
聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会

Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1987,1988

マルティン・ルター
1483年~1546年
神学者、牧師
宗教改革の創始者