タグは ‘勇気’

ペトロの手紙二 3章17~18節

愛する人たち、あなたがたはこのことをあらかじめ知っているのですから、不道徳な者たちに唆されて、堅固な足場を失わないように注意しなさい。わたしたちの主、救い主イエス・キリストの恵みと知識において、成長しなさい。(ペトロの手紙二 3章17~18節より)

「キリストが私たちのために死んでくださった」とはどういう意味か、学び、進歩し、成長するために、本気で戦いなさい。この真理が、空っぽのあぶくのように舌の上に留まるだけではなく、あなたがたの心に深く染み入って慰めを与え、勇気付け、行動へと導くようになるためです。
(マルチン・ルター、宝石箱)

ヨハネによる福音書 16章33節

安心しなさい。私は世に打ち勝っているのです。(ヨハネによる福音書 16章33節)
   
信仰者は、
神様への信仰を通して自分の心を勇気付け、
確実で永続する慰めを得ます。
それにより信仰者は、恐れることなく大胆に
罪や死や悪魔やあらゆる害悪から目をそむけない勇気を得ます。
たとえ悪魔が全力で信仰者に襲いかかり、
恐怖によって徹底的に信仰者をくじこうとしても、
信仰者は襲いくる恐怖の只中にいても、
勇気と信仰をもってこう言います、
「邪悪な悪魔め、
尻尾を巻いてどこかへ消えうせろ。
怒るな。
お前が怒り狂って怖がらせようとしても、
私はそんなことは無視するし、
お前を軽蔑する勇気に満ちているからだ。
なぜなら、
イエス・キリストというお方がおられるからだ。
お前もこの方を知っているか?
私はこの方を信じている。
この方は、
律法を無効にし、罪を裁き、死を取り去り、地獄を滅ぼされた。
キリストは、お前よりもはるかに偉大であり、
またこれからもそうあり続けられる。
なぜなら、
この方がお前を捕縛なさっているので、
もうお前は私やこの方を信じる者に
危害を加えることができなくなっているからだ」。
このような信仰に悪魔が勝つのは不可能です。
ヨハネが言っているように、
私たちの信仰こそが世に打ち勝っている勝利だからです。
「世に打ち勝つ者は誰でしょうか?
それはイエス様が神様の御子であることを信じる者ではありませんか」(ヨハネの手紙一 5章4~5節)。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)

ヨハネによる福音書 14章1節

心を騒がせるな。(ヨハネによる福音書 14章1節より)

この慰めの御言葉は私たちの救い主の「決別の辞」全体に明瞭に響き渡っています。その辞のなかで、キリストは弟子たちに平和の遺言を残してくださいました、「なぜあなたたちは恐れ心騒がせているのですか。この私自身が『あなたたちの心を騒がせてはいけない』と、前にも言い今もまた言っているではありませんか。しかも私があなたたちに言うことを、私の父もまた言われているのです」。これに対して天国の天使たちも全員こう叫んでいます、「本当です!」。
(マルチン・ルター、宝石箱)


「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。(ヨハネによる福音書 14章1節)

「あなたがたの心が悲しまないようになさい」、
とイエス様は言われています、
「今や私は死んであなたがたの目の前から消え、
私のことを知らないこの世にあなたがたを置いていきます。
あなたがたは周りからさまざまな苦しみや不幸に悩まされ
脅かされることでしょう。
しかし、勇気を失ってはなりません!
私はあなたがたを圧迫したり悲しませたりは決してしない、
という私の言葉を覚えておきなさい。
もしもそのようなことが起きたら、それは間違いなく悪魔の仕業です。
羊が自分の羊飼いをその声で知るのと同じように、
あなたがたも私を「恐れるな!驚くな!」という声で見分けることができます。
私の言葉はそのまま私の思いでもあります。
他の声が聞こえるなら、それは私の声ではなく、
私の名前とペルソナに隠れて私のことを真似ている者の声です。
その声に聴き従ってはなりません」。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)


「神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。(ヨハネによる福音書 14章1節より)

信仰について間違ったことをせず、
正しいことを行いたいと望む者は、
神様が恵みと救いを備えてくださった場所、
神様を見い出すことができる場所から始めるようにしなさい。
そうしないと、
誤りをおかして信仰と行いの意味もなくしてしまうのは
まず確実だからです。
その人は、自分を欺いて、
何か自分の行いに頼って神様の恵みを得ようとします。
しかし、真のクリスチャンは次のように言うものです、
「ここに私の神様がおられます。
私は、イエス・キリストと一体であられるこの方をおいて、
他の神を信じたりはしません。
この方に私は信頼します。
その時、自分には真の神様がおられることを私は知ります。
もしも私にこの方がいてくださるのなら、
私は悪魔や世に対して強い態度をとり、
それらを軽蔑することができます。
もしも悪魔が私の持ち物や栄光や霊や血を私から奪うとしても、
私には命と死と世と万物の主なるキリストがおられます。
たとえ悪魔が私を脅かして私の良心に重くのしかかってきても、
悪魔は何の勝利も得ません。
ここに私が信じている私の主がおられるからです。
もしも私がこの方を信じるならば、
私は神様を信じることになります。
この方御自身こそが、まことの神様だからです」。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)

ヨハネによる福音書 3章8節

風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」 (ヨハネによる福音書 3章8節)

人はこの教えに勇気付けられて、
罪や試みに苦しめられているときにもこう言えます、
「私は確かに罪を通して腐敗したこの世の子だし、
死の宣告を受けた者でさえあるが、
私の主イエス・キリストが
私の罪を十字架に運ばれ、死に勝ち、
私を天のお父様と仲直りさせてくださったことを
知っており、また信じている。
このことのために私は洗礼を受けており、
私には永遠の命が約束されている。
それゆえ、私は勇気をもって神様に頼りたいと思う」。
このように新生した人間は、
十字架につけられたキリストへの信仰を通して、
罪や死や悪魔や世やあらゆる不幸を追い払います。
さらに、このような人は、
よい行いをし、神様に対し従順で、
召された職務を熱心かつ忠実に遂行し、
隣り人を愛し、もてる力に応じて助け、彼らに奉仕します。
真の信仰にはそのような行いが伴うものです。
(中略)
真摯なクリスチャンは皆、
聖霊様のそよぎに心を向け、それに聴き入り、
キリストが十字架で私たちの罪のために死んでくださったことを
信じます。
そして、そのような信仰を通して神様の子になり、
永遠の命を継ぐ者になるのです。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)


風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。」(ヨハネによる福音書 3章8節より)
  
神様のみわざやそれに関わることを見たり知ったりできないほど、理性は盲目なのです。
人間の理性を過大に評価して「理性は常に至高の事柄を扱う」と主張する賢い学者たちにとっては、この真実は受け入れがたいものでしょう。
人間性の最良の部分(理性)さえも取るに足らないものであり、美しく明瞭なことを識別する力もなく、怒りや激情や妬みに満ちています。
このことを知らせるために、神様はここで私たちに具体的な例を与えてくださったのでした。
イエス様はたとえとみわざによって、人間の理性は神様の御前では盲目であり死んでいることを示してくださいました。
ですから、理性が神様のみわざに関心を持たず、それを求めもしないのは当たり前なのです。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)

イザヤ書 8章13~14節

万軍の主をのみ、聖なる方とせよ。あなたたちが畏るべき方は主。御前におののくべき方は主。主は聖所にとっては、つまずきの石/イスラエルの両王国にとっては、妨げの岩/エルサレムの住民にとっては/仕掛け網となり、罠となられる。(イザヤ書 8章13~14節)

私たちは勇気をもち、世を恐れません。しかし、神様の御前で私たちはへりくだり、神様を畏れ、心の中で神様を聖としなければなりません。主が私たちに与えてくださるものが、よいものであろうとわるいものであろうと、栄光であろうと恥辱であろうと、幸福であろうと不幸であろうと、私たちはそれをよい聖なることとみなして、こう言います、「これは尊い聖所であり、本来私にはその傍にいる資格もないのです」。
(マルチン・ルター、宝石箱)

詩編 30編6~8節

泣きながら夜を過ごす人にも喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる。平穏なときには、申しました「わたしはとこしえに揺らぐことがない」と。主よ、あなたが御旨によって砦の山に立たせてくださったからです。しかし、御顔を隠されるとわたしはたちまち恐怖に陥りました。(詩編 30編6~8節より)

この詩編には、安らかな良心がどのようなものであるかが美しく描かれています。ダヴィデは全世界を水滴ほどのものと見なし、その怒り狂った嵐のような力を恐れません。主は彼と共におられ、彼の岩を強めてくださいます。しかし、彼が躓き、主が彼から御顔を隠した時には、彼は慌てふためき、その勇気と岩とを失ってしまいました。
(マルチン・ルター、宝石箱)

詩編 18編4節

ほむべき方、主をわたしは呼び求め/敵から救われる。(詩編 18編4節)

危険に直面したときに神様への賛美がどれほど強力な武器であるか、私たちは信じることができないほどです。神様を賛美し始めると、たちまちのうちに悪は弱まり、あなたは勇気が湧いてきて神様に信頼して助けを叫び求めることができます。神様に本当に仕えている人たちは、いつもこのようにして悪に対抗するための慰めと助けを探し求めてきたのです。まずはじめに賛美し、それから助けを求めて叫びましょう。
(マルチン・ルター、宝石箱)

ルターの著作の翻訳者 高木賢(フィンランド・ルーテル福音協会)
このサイトに引用されているのは聖書新共同訳です。
聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会

Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1987,1988

マルティン・ルター
1483年~1546年
神学者、牧師
宗教改革の創始者