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ガラテヤの信徒への手紙 6章6節

御言葉を教えてもらう人は、教えてくれる人と持ち物をすべて分かち合いなさい。(ガラテヤの信徒への手紙 6章6節)

子供たちを忠実に教育する熱心で正しい教師は、真の賞賛に値します。
私も、説教職や他の仕事を失う場合には、
学校や幼稚園の教師になりたいほどです。
なぜなら、教師の仕事は、説教職と並んで、
すべての仕事の中で一番有益で、偉大で、最高の使命だからです。
(中略)
他の人の子供たちを忠実に教育するのは、
この地上で最も素晴らしい天職です。
ほとんどの親が自分の子供の教育にさえ無関心な今の世の中では、
なおさらそうです。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)

ヨハネによる福音書 3章5節

イエス様は答えました、「まことにまことに私はあなたに言います。もしも水と御霊から生まれなければ、人は神様の御国に入ることはできません」。(ヨハネによる福音書 3章5節)

キリストが望んでおられるのは、幼い子供たちが洗礼を授けられずにその外側に見捨てられることでは決してなく、彼らもまたこの御言葉にかかわりをもつ者として扱われることです。子供たちにも洗礼を授けなさい。神様は、子供たちをも新しく生んで、子供たちの中で働きたいと望まれています。もしも子供たちをキリストの御許に連れて行くつもりならば、キリストが働かれるときに用いられる手段やしるし1を、子供たちから奪ってはなりません。私はここで洗礼を受けるのが可能なときにちゃんと守るべき一般的な秩序と規則について言っているのです。洗礼を受けるのが不可能であるような非常事態においては、洗礼を受けたいという意志と、御言葉とによって、その人をキリストにささげるために御許へと連れて行くことで十分でしょう。
(マルチン・ルター、宝石箱)


ここで「水」と呼ばれている洗礼には貴い力が込められています。それについてキリストがこの御言葉に基づき如何に明瞭に教えておられるか、注目しなさい。洗礼には聖霊様が臨在なさっています。そして洗礼を通して人は新しく生まれます。こうして、信仰と洗礼に反対するあらゆる異端的な教えと誤謬は滅ぼされます。異端としては、まず第一に、自分自身の行いによる義と救いを追求している「ローマ法王派」やその同類がいます。(・・・)第二に、御言葉やしるし(聖礼典のこと)を通さずに、その外側から、特別な啓示や影響力によって天国から直接やってくるような「霊」を求めるように促す「再洗礼派」やその同類の主張がここでは粉砕されています。彼らは洗礼を、あたかもそれが無益なただの水であるかのように、軽んじているのです。
(マルチン・ルター、宝石箱)

ルターの著作の翻訳者 高木賢(フィンランド・ルーテル福音協会)
このサイトに引用されているのは聖書新共同訳です。
聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会

Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1987,1988

マルティン・ルター
1483年~1546年
神学者、牧師
宗教改革の創始者