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コロサイの信徒への手紙 1章20節

その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。(コロサイの信徒への手紙 1章20節)

キリストは天からくだり、
神様についてありとあらゆるよいことを
私たちに語ってくださいました。
つまり、御父様が私たちの罪をすべて赦して、
私たちを御自分の子供としてくださったということです。
御父様はいまや私たちの愛する父親であり、
私たちに対して平和な思いをおもちです。
イエス様は再び御父様のみもとへ行って、
神様に私たちについてありとあらゆるよいことを
こう話してくださいました、
「お父さん、彼らにはもう罪がありません。
私がそれを自分の上に引き受けて、取り去ったのです」。
このように、イエス様は
父なる神様と私たちとの間に、
また神様とすべての被造物との間に、
平和をつくってくださったのです。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)

フィリピの信徒への手紙 3章20節

しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。(フィリピの信徒への手紙 3章20節)

クリスチャンは自分の所属する家やグループや王国をこの世以外のところにもっています。あなたがたは、クリスチャンとして歩む者として、この世的な不幸がもはやなく永遠の平和の中で生きていくことができる天の御国へ思いを向け、そちらへと歩んでいきなさい!
(マルチン・ルター、宝石箱)

使徒言行録 13章26節

兄弟たち、アブラハムの子孫の方々、ならびにあなたがたの中にいて神を畏れる人たち、この救いの言葉はわたしたちに送られました。(使徒言行録 13章26節)

パウロがここでキリストについて宣べ伝えている、御言葉に含まれている解放と救いは、自分たちが神様の子供でありつづけ、キリストの御国が自分たちの中にあることを知るために、私たちが知っておかなければならない最高の教えです。それは救いと平和の御言葉であり、確実に救いと平和をもたらします。なぜなら、それは神様が与えてくださるものだからです。
(マルチン・ルター、宝石箱)

ヨハネによる福音書 17章20~22節

また、彼らのためだけでなく、彼らの言葉によってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。(ヨハネによる福音書 17章20~22節)

「私は何者か」とか「あなたは何者か」という問題をめぐる戦いが止む時、すなわち、私の義でもあなたの義でもなくキリストの義のみが神様に受け入れられる時、自然に平和が訪れます。なぜなら、私たちは皆、恵みが必要な罪人であるからです。キリストにあってすべての人はひとつであり、誰も他の人の上に立つ理由はありません。
(マルチン・ルター、宝石箱)

ヨハネによる福音書 14章1節

心を騒がせるな。(ヨハネによる福音書 14章1節より)

この慰めの御言葉は私たちの救い主の「決別の辞」全体に明瞭に響き渡っています。その辞のなかで、キリストは弟子たちに平和の遺言を残してくださいました、「なぜあなたたちは恐れ心騒がせているのですか。この私自身が『あなたたちの心を騒がせてはいけない』と、前にも言い今もまた言っているではありませんか。しかも私があなたたちに言うことを、私の父もまた言われているのです」。これに対して天国の天使たちも全員こう叫んでいます、「本当です!」。
(マルチン・ルター、宝石箱)


「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。(ヨハネによる福音書 14章1節)

「あなたがたの心が悲しまないようになさい」、
とイエス様は言われています、
「今や私は死んであなたがたの目の前から消え、
私のことを知らないこの世にあなたがたを置いていきます。
あなたがたは周りからさまざまな苦しみや不幸に悩まされ
脅かされることでしょう。
しかし、勇気を失ってはなりません!
私はあなたがたを圧迫したり悲しませたりは決してしない、
という私の言葉を覚えておきなさい。
もしもそのようなことが起きたら、それは間違いなく悪魔の仕業です。
羊が自分の羊飼いをその声で知るのと同じように、
あなたがたも私を「恐れるな!驚くな!」という声で見分けることができます。
私の言葉はそのまま私の思いでもあります。
他の声が聞こえるなら、それは私の声ではなく、
私の名前とペルソナに隠れて私のことを真似ている者の声です。
その声に聴き従ってはなりません」。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)


「神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。(ヨハネによる福音書 14章1節より)

信仰について間違ったことをせず、
正しいことを行いたいと望む者は、
神様が恵みと救いを備えてくださった場所、
神様を見い出すことができる場所から始めるようにしなさい。
そうしないと、
誤りをおかして信仰と行いの意味もなくしてしまうのは
まず確実だからです。
その人は、自分を欺いて、
何か自分の行いに頼って神様の恵みを得ようとします。
しかし、真のクリスチャンは次のように言うものです、
「ここに私の神様がおられます。
私は、イエス・キリストと一体であられるこの方をおいて、
他の神を信じたりはしません。
この方に私は信頼します。
その時、自分には真の神様がおられることを私は知ります。
もしも私にこの方がいてくださるのなら、
私は悪魔や世に対して強い態度をとり、
それらを軽蔑することができます。
もしも悪魔が私の持ち物や栄光や霊や血を私から奪うとしても、
私には命と死と世と万物の主なるキリストがおられます。
たとえ悪魔が私を脅かして私の良心に重くのしかかってきても、
悪魔は何の勝利も得ません。
ここに私が信じている私の主がおられるからです。
もしも私がこの方を信じるならば、
私は神様を信じることになります。
この方御自身こそが、まことの神様だからです」。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)

イザヤ書 2章3節

多くの民が来て言う。「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう」と。主の教えはシオンから御言葉はエルサレムから出る。(イザヤ書 2章3節)

主の道は主のみわざ、とりわけ、主が私たちの中で働かれるみわざです。主は、悪魔の仕業、罪、死、嘆き、恐れ、あらゆる不幸、さらには私たちの日々の堕落までをも消し去って、私たちの中にそれらとは反対のもの、すなわち、希望、正義、忍耐、喜び、平和を生み出してくださいます。
(マルチン・ルター、宝石箱)

ルターの著作の翻訳者 高木賢(フィンランド・ルーテル福音協会)
このサイトに引用されているのは聖書新共同訳です。
聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会

Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1987,1988

マルティン・ルター
1483年~1546年
神学者、牧師
宗教改革の創始者