タグは ‘心配’

詩編 55編23節、ペトロの手紙一 5章7節

あなたの重荷を主にゆだねよ
主はあなたを支えてくださる。
主は従う者を支え
とこしえに動揺しないように計らってくださる。
(詩編 55編23節)

思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。(ペトロの手紙一 5章7節)

私たちが「主に投げゆだねる」という方法をよく学ぶなら、主が私たちの世話をしてくださることを確かに経験することができるでしょうに。
しかし、この方法を学ばない人は、捨てられ、隅々まで痛めつけられ、だめになり、倒れてしまいます。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)

ルカによる福音書 12章6~7節

五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」(ルカによる福音書 12章6~7節)

心配や悩みをすべてひとつに集めて、まるでそれが燃えさしであるかのように、神様の無限の愛と配慮に満ちた海に沈めてしまいましょう。そして、それら心配事を些細なこととみなして話し合いましょう。
(マルチン・ルター、宝石箱)

ルカによる福音書 5章4節

話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。(ルカによる福音書 5章4節)

主はこう言われているかのようです、
「網を放ち、漁をしなさい。
しかし、魚が取れるかどうかという心配は私に任せて、
あなたがたは自分の仕事に集中しなさい」。
ところが、私たちは逆のことをしています。
それゆえ、もしもクリスチャンとしてふさわしく生きて行きたいのなら、
魚が網にかかるかどうかという心配は神様に任せて、
あなたは何かの職に就いて仕事をしなさい。
「あなたは鼻に汗をかきパンを食べることになる」
(創世記 3章19節)、と神様はアダムに言われました。
この御言葉に忠実に従おうとするのはとてもよいことです。
それゆえ、あなたは信仰をもって仕事をし、
他のことはすべて神様にお任せしなさい。
(中略)
たとえ神様が私たちの仕事の成果をすぐには与えてくださらなくても、
私たちは希望をもって待ちつづけるべきです。
たとえば、この御言葉にもあるように、
弟子たちが一晩中漁をしても徒労に終わるようにし、
あたかも彼らが飢え死にしてもかまわないかのように、
神様は振舞われました。
漁をしている間、ペトロは、
「神様は私の体が飢えて弱るままにほうっておかれたいのだな」、
などと考えたかもしれません。
しかし、ペトロは疑わずに仕事をつづけました。
「少しくらい遅れても、神様は自分に魚をとらせてくださる」、
という揺るがぬ希望をもちつづけました。
その後、神様が来られて、
ペトロにあふれるほど沢山の魚を一度に与えてくださいました。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)

マタイによる福音書 6章30節

今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。(マタイによる福音書 6章30節)

もしも仮に神様の特別な秩序とお造りになった世界とが今のようなものではなかったとすれば、いろいろな花も、色や葉や花びらなどの点で今の私たちの世界の花ほどは互いに似てはいなくて、もっとでたらめになっていたことでしょう。もしも神様が、私たちが刈り取ったり動物がそれを食べたりするためだけに生えている草さえも世話してくださっているのですから、神様は私たちを装ってくださるかどうか疑い続けるのは、罪深く恥ずべきことではないでしょうか。
(マルチン・ルター、宝石箱)

ルターの著作の翻訳者 高木賢(フィンランド・ルーテル福音協会)
このサイトに引用されているのは聖書新共同訳です。
聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会

Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1987,1988

マルティン・ルター
1483年~1546年
神学者、牧師
宗教改革の創始者