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エフェソの信徒への手紙 6章17~18節

また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。(エフェソの信徒への手紙 6章17~18節)

教会を維持しているのは、忠実な教え、熱心な祈り、真の苦難です。この世は「平和の王国」を、表面的には平和にみえる雰囲気の中でことが円滑に運ばれうまくいくところに見出します。ところが、「恵みと救いの王国」は、上の聖書の箇所に挙げた教会を教会たらしめる「しるし」に基づいて見出されるものです。たとえ教会が表面的には世の「平和の王国」とは正反対に見えることがしばしばあるとしても、そうなのです。
(マルチン・ルター、宝石箱)

ガラテヤの信徒への手紙 3章9節

このように信仰による者は信仰者アブラハムと共に祝福を受けるのです。(ガラテヤの信徒への手紙 3章9節)

(中略)
「このアブラハムは信仰によって、
自分にも、自分と同じように信じている者皆にも、義なる祝福を得た」、
と聖書は証しています。
もしもアブラハムのように信じるのなら、全世界が祝福されるのです。
言い換えれば、自分自身が義と認められるのです。
祝福とは、福音を宣べ伝えて教え、キリストを告白し、
すべての国民にキリストについて知らせることにほかなりません。
そして、この牧師としての奉仕(説教職)は
新約聖書の教会の真のささげものです。
この奉仕は、
説教とサクラメントによって、
ざんげと罪の赦しの宣言によって、
慰めによって、
アブラハムが自分の祝福としてもっていた
「恵みの御言葉」を教えることによって、
祝福を分けてくれます。
この「恵みの御言葉」をアブラハムは信じ、祝福を受けました。
私たちもそれを信じて、祝福をいただけます。
この祝福は、世に対してではなく、神様の御前における栄光です。
なぜなら、
「私たちの罪は赦されており、
私たちは神様に喜んで受け入れていただける存在になっています。
神様は私たちの御父様、私たちは神様の子です。
神様は御自分の子たちに怒りたいとは思われません。
逆に、罪や死やあらゆる悪から私たちを救い出したいと望んでおられ、
私たちに義と命と永遠の救いを贈ることを望まれている」、
ということを私たちは聴いているからです。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)

ガラテヤの信徒への手紙 3章26節

あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。(ガラテヤの信徒への手紙 3章26節)

主イエス様がペトロに、「私は誰か」、と尋ねられたときに、
ペトロはこう答えました、「あなたはキリスト、活ける神様の御子です」
(マタイによる福音書 16章15節)。
これをキリストは真正な信仰告白とお認めになり、
この信仰告白の上に、
ローマ法王の教会ではなく、御自分の教会を建てることを望まれました。
この教会は非常に強い信仰のゆえに、地獄の門も最強の悪魔もかないません。
なぜなら、神様の教会は、つまり主の聖なる特別な民は、
「キリストこそ神様が祝福された御子である」、
という真心の信仰の他には、どんな基ももっていないからです。
神様の御子を信じる者は、すでに新しく生まれています。
その人は、自分が神様の子どもであり、
聖なる教会と神様の民の一員であり、
天の御国とその宝を継ぐ者であることに関して、
素晴らしい証拠の印を所有しています。
そのような人は、揺るがぬ救いの基をもっており、
悪魔の攻撃から守られています。
パウロも、「これこそ、救いをもたらす真の信仰です」、と告白しています、
「あなたは自分の口で、「イエス様は主である」、と告白し、
自分の心で、「神様がイエス様を死者たちの中からよみがえらせた」、
と信じるならば、救われます」(ローマの信徒への手紙 10章9節)。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)

ルカによる福音書 24章45~47節

そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。(ルカによる福音書 24章45~47節)

キリストは教会に「罪を赦す賜物」をお与えになり、「罪の赦しの王国」を築かれました。罪人が指導や叱責を受け入れる場合には、その人は罪の赦しを乞い求める度毎に罪から解放されます。そしてこれは教会の本質をよくあらわしています。なぜなら、罪の赦しは教会に委ねられているからです。
(マルチン・ルター、宝石箱)

マタイによる福音書 28章18~20節

イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイによる福音書 28章18~20節)

私たちには教会を維持する能力がありません。私たちの先祖にも子孫にも、その力がなかったしこれからもありません。しかし今も昔もこれからもその力があるお方がひとりおられます。それは、「私は世の終わりまで、日々常に、あなたたちと共にいる」、と言われているお方です。
(マルチン・ルター、宝石箱)

ルターの著作の翻訳者 高木賢(フィンランド・ルーテル福音協会)
このサイトに引用されているのは聖書新共同訳です。
聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会

Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1987,1988

マルティン・ルター
1483年~1546年
神学者、牧師
宗教改革の創始者