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ガラテヤの信徒への手紙 3章9節

このように信仰による者は信仰者アブラハムと共に祝福を受けるのです。(ガラテヤの信徒への手紙 3章9節)

(中略)
「このアブラハムは信仰によって、
自分にも、自分と同じように信じている者皆にも、義なる祝福を得た」、
と聖書は証しています。
もしもアブラハムのように信じるのなら、全世界が祝福されるのです。
言い換えれば、自分自身が義と認められるのです。
祝福とは、福音を宣べ伝えて教え、キリストを告白し、
すべての国民にキリストについて知らせることにほかなりません。
そして、この牧師としての奉仕(説教職)は
新約聖書の教会の真のささげものです。
この奉仕は、
説教とサクラメントによって、
ざんげと罪の赦しの宣言によって、
慰めによって、
アブラハムが自分の祝福としてもっていた
「恵みの御言葉」を教えることによって、
祝福を分けてくれます。
この「恵みの御言葉」をアブラハムは信じ、祝福を受けました。
私たちもそれを信じて、祝福をいただけます。
この祝福は、世に対してではなく、神様の御前における栄光です。
なぜなら、
「私たちの罪は赦されており、
私たちは神様に喜んで受け入れていただける存在になっています。
神様は私たちの御父様、私たちは神様の子です。
神様は御自分の子たちに怒りたいとは思われません。
逆に、罪や死やあらゆる悪から私たちを救い出したいと望んでおられ、
私たちに義と命と永遠の救いを贈ることを望まれている」、
ということを私たちは聴いているからです。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)

マタイによる福音書 6章33節

何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。(マタイによる福音書 6章33節)

このことを神様は、昔も今も、多くの義なる人たちの体験を通して、お示しになられました。すなわち、彼らは、この御言葉の規則や教えに従って、神様の御国の建設を助けようとし、教会に奉仕しようとし、神様の御言葉が広がっていくように努め、そのために財産をささげてきました。神様は彼らを財産や栄誉等によって豊かに祝福されました。これと同じことを大昔の、聖書の王侯たちのみならず、私たちの歴史に登場する王侯たちも証しています。キリスト教への愛に基づいて、彼らはまず非常に多くの牧師職を設け、説教壇を作り、説教職の維持や学校に関する規則を定めました。しかし、彼らはこうすることによって少しも貧しくなりませんでした。それどころか、神様は彼らを御自分の賜物によって祝福されたので、彼らは裕福になり、平和と幸福に包まれ、勝利者として統治することができました。
(マルチン・ルター、宝石箱)

創世記 22章18節

地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。(創世記 22章18節)

キリストはアブラハムの種(すなわち「子孫」)である、と使徒パウロは言います(ガラテヤの信徒への手紙 3章16節)。キリストはこの世すべてを福音を通して祝福されました。キリストがおられないところには、アダムが罪に落ちたときに自分やその子孫の上に招いてしまった呪いが残っています。アダムの子孫は皆、死や地獄に属している者たちです。アブラハムには、彼を通してあらゆる民が祝福されることになる、という約束が与えられているわけですが、普通に考えても、福音によって世界中に伝えられている、アブラハムに与えられたこの約束を通してでなければ、私たちが祝福に与ることは期待できません。この約束の外には呪いしかないのです。
(マルチン・ルター、宝石箱)


使徒パウロや預言者は皆、
神様のこの御言葉を心から賛美していますが、
それは当然です。
  
この御言葉によって
アブラハムや彼の子孫は皆救われて幸せになったし、
今を生きる私たちも皆その御言葉を通して
救いの幸せにあずかることになるからです。

なぜなら、
キリストはその御言葉の中におられ、
その御言葉によって全世界の救い主であることが明らかに示されているからです。
これこそがあの「アブラハムの懐」です(「ルカによる福音書」16章23節)。
そこには、
キリストの誕生前に救いの幸せにあずかったすべての人々が住んでいます。
 
もしもこの御言葉がなかったなら、
たとえあらゆるよいわざを行ったとしても、
誰一人救われなかったことでしょう。
 
さらにここで私たちが気付くのは、
旧約の時代に生きていた父祖や預言者は皆、
私たちと同じ信仰と福音をもっていた、
ということです(「コリントの信徒への第一の手紙」10章1節以降)。
アブラハムの懐の中で
彼らは皆、神様に頼って堅い信仰に留まり、救われました。
 
彼らと私たちの違いは、
彼らがやがて来るべき約束された種(「子孫」)を信じていたのに対して、
私たちはすでに啓示され与えられている種を信じている、
という点です。
 
しかし、約束は同じであり、厳粛なものです。信仰は同じ、御霊は同じ、主キリストは昨日も今日も永遠に同じです(ヘブライの信徒への手紙 13章8節)。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)

ルターの著作の翻訳者 高木賢(フィンランド・ルーテル福音協会)
このサイトに引用されているのは聖書新共同訳です。
聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会

Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1987,1988

マルティン・ルター
1483年~1546年
神学者、牧師
宗教改革の創始者