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コロサイの信徒への手紙 2章3節

知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れています。(コロサイの信徒への手紙 2章3節)

神様がお命じになっていることがらについて、
私たちは自分の知恵に頼って従おうとしてはいけません。
むしろ私たちは、
「もしも私には神様の律法が間違っていると感じられるなら、
それは、神様の知恵を理解できない私自身の愚かさのせいだ」、
と考えるべきなのです。

命と死とは、互いに互いを包み込んでいます。
命は死の中にあります。
不幸は大きな幸福の中にあります。
同じように、
貧しさや惨めさの中に豊かさや喜びがあります。
一方では、
一番安全なはずの生活の中にも、
一瞬にして死が待ち構えています。

私たちは死ぬ時に、
あたかも永遠に死んだままであるかのようにして、
死んでいきます。
しかし、
一瞬のうちに「最後の日」が来て、
「今から私は永遠に活きる」、
と言えるようになります。

「どのように主は私たちを引き下げ、また引き上げてくださるか」、
また、「すべて主の御言葉の通りになる」、ということを、
主は私たちに多くの実例を通して示されました。
それは、
私たちが自分の知恵によっては何も行わず、
すべてを主にゆだねるようになるためです。
何事も私たちの考えや計画通りにはならないことを、
私たちは皆、生活の中で経験し知っているはずです。

主は、私たちを豊かで強く義しい者としようとなさるときに、
良心が咎める、貧しく見捨てられた罪人になさいます。
それはまるで、
あらゆる点で主の与えてくださった約束が消えうせてしまった
かのようです。
このような主のやり方を理解する者は、さいわいです!

神様の御言葉は二通りの異なったやり方で用いられます。
まず第一に、それは一般的に公けに用いられます。
例えば、神様をないがしろにする者たちでさえ、
御言葉を聞いたり読んだりします。
しかし、これは「殻」にすぎません。
彼らには「殻の中身」がないのです。
その中身とは、キリストの御受難がもたらした恵みと実と益のことです。
キリストの御受難のもたらす益については、彼らは何も知りません。
なぜでしょうか?
それは、彼らは自分が罪人だということを認めたくないからです。
彼らは、キリストの御受難について
口先ではまことしやかに語ることができるのに、
それをちっとも理解していないのは、そのためです。
キリストは罪人のためだけに苦しまれたのです。
もしも彼らに、
「キリストはあなたのためにも苦しまれたのです。
つまり、あなたも罪人なのですよ」、と言っても、
彼らはそれを受け入れません。

神様の御言葉を用いる第二のやり方は、次の通りです。
義とされた信仰者は、
御言葉を表面的に用いるだけではなく、
ちゃんとその意味を理解します。
なぜなら、主の奥義が彼らに対して啓示されているからです。
キリストは、
「私たちはその人のもとに来て、そこに住むでしょう」、
と言われます(「ヨハネによる福音書」14章23節より)。
三位一体なる主は、
そのような魂の持ち主に聖書の奥義を明らかにし、
彼らがそれらを理解できるようにしてくださいます。

神様は、私たちを死なせずに、活きる者となさいます。
神様は、私たちを裁かずに、救いのさいわいを賜ります。
神様は、嘆き打ち砕かれている心を憎んだり見捨てたりはせず、
愛を込めて配慮されます。
なぜなら、神様は、
命と救いと平和と喜びと慰めの神様だからです。

「神様がキリストを通して恵みを示そうとされていることを、
苦しみの最中でも信じ続ける心こそ、
神様が喜ばれる最上の捧げ物です」、
と預言者は語ります。
そして、心が嘆き悲しんでいる人皆を慰めます。
私たちがこうした心を神様に捧げるようになるために、
主はよく疫病、飢饉、戦争、その他の不幸を送られます。
それは、
私たちがより敏感に神様を捜し求め、
不幸の時にも幸福の時にも
神様から助けを願うようになるためです。

(マルチン・ルター、信仰生活アドヴァイス)

ローマの信徒への手紙 11章33節

ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。(ローマの信徒への手紙 11章33節)

神様のお考えとご決定は非常な高みにあるので、
その幅広さや高さは
あらゆる人間と被造物世界の理解を超えるものです。
神様は御自分の善性をあふれるように与えて、
まったくの恵みと憐れみから、
神様には本来受け入れていただけるはずのない、
罪に閉じ込められているひどく苦しみ惨めな人、
つまり、
「自分などは真理を前にして
(神様の)永遠の怒りを受けて滅びるのが当然だ」、
と告白する人を選ばれました。
それは、彼らが、
「神様がどのような神性や御心をおもちのお方か」、
を知るためでした。
神様は御子を通して、
信じる人々に
永遠の命と救いを与えることを望んでおられます。
キリストを信じる人々は、
神様の真の御心とお考えの
底知れぬ深遠を目にする機会があるでしょう。
しかし、彼らはそれを、
鏡に映して見るようにして、
啓示された御言葉を通して、
信仰において把握することができるだけであり、
それ以上のことは、
自分の考えによっては決して理解できないのです。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)

ルターの著作の翻訳者 高木賢(フィンランド・ルーテル福音協会)
このサイトに引用されているのは聖書新共同訳です。
聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会

Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1987,1988

マルティン・ルター
1483年~1546年
神学者、牧師
宗教改革の創始者