タグは ‘罪を叱責’

ヨハネによる福音書 20章21(後半)、23節

父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。(ヨハネによる福音書 20章21(後半)、23節)

私共説教者はキリストの職務にあって、「罪を叱責し、罪を赦す」ことを通して主なる神様をお助けしています。罪を叱責しない説教者は、地獄を開き天国を閉じています。同様なことは、罪を赦さない説教者も行っているのです。それゆえ、「罪を叱責し、罪を赦す」というこの両面を説教しなければなりません。
(マルチン・ルター、宝石箱)

マタイによる福音書 5章44節

しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。(マタイによる福音書 5章44節)

ここでは、
御言葉を聴く人と御言葉を説教する人とを区別しなければなりません。
御言葉を聴く人はいつも、
彼らを傷つけ迫害する人のために祈らなければなりません。
しかし、
御言葉を宣教する人は、
与えられている職務に従って懲罰し、
律法を説教しなければならない時があります。
同情心から叱らないでおくのは、正しい態度ではありません。
それにより、悪を支持することになってしまうからです。
福音を迫害し、自分が強いと思い込み、
福音を足蹴にする私たちの敵に対して、
「立派な方々、神様があなたがたの義しさと聖さに報いてくださるように」、
などと言ったり、
彼らの悪行について沈黙を守り、
彼らに屈服し、
その足に口づけするようなら、
私は悪を支持することになってしまいます。
そうであってはなりません。
愛する友よ、
噛まなければいけない時には、ちゃんと噛むことができるように、
説教者の口には「歯」が必要です。
真実を美化せずに公に伝えるために、
説教者のメッセージには「塩」があるべきです。
もしも人々がその説教者の話を聴こうとしないなら、
説教者は彼らに対して天を閉ざし、
「地獄の火にふさわしい者よ」、と宣告するべきなのです。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)

ルターの著作の翻訳者 高木賢(フィンランド・ルーテル福音協会)
このサイトに引用されているのは聖書新共同訳です。
聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会

Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1987,1988

マルティン・ルター
1483年~1546年
神学者、牧師
宗教改革の創始者