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ペトロの手紙一 4章11節

語る者は、神の言葉を語るにふさわしく語りなさい。(ペトロの手紙一 4章11節より)

上手に語る賜物があまりない者が、美しく語る達人と比べて、神様の与えてくださった御言葉を「より下手に」語るということはありません。あなたの(この世の)父も、天使ガブリエルと同じように語ります。いろいろな器がある、というちがいがあるだけなのです。ある人は銀の器であり、またある人は錫や粘土の器です。しかし、器はこの世的なものです。同じ食事を同じように錫の器にも銀の器にも盛ることができます。そして、周到にこしらえられた食事は、錫の器で食べても銀の器で食べても、同じように美味しくいただけます。
(マルチン・ルター、宝石箱)

ガラテヤの信徒への手紙 3章8~10節

聖書は、神が異邦人を信仰によって義となさることを見越して、「あなたのゆえに異邦人は皆祝福される」という福音をアブラハムに予告しました。それで、信仰によって生きる人々は、信仰の人アブラハムと共に祝福されています。(ガラテヤの信徒への手紙 3章8~10節より)

真のクリスチャンは、人々が「自分たちは何ほどの者でもなく、キリストがすべてにおいてすべてである」ことを知るようになることを目的として、キリストを賛美し宣教するときに、他のどのような行いよりも立派な行いをしています。
(マルチン・ルター、宝石箱)

コリントの信徒への手紙一 1章18~19節

十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを意味のないものにする。」(コリントの信徒への手紙一 1章18~19節)

この世は、キリストについての説教を除けば、ほかのどんな説教でも受け入れます。そのわけは、キリストについての説教はどこで宣べ伝えられたとしても、それが唯一の真理であることを認めるように要求するからです。キリストについての説教は、「賢者は愚か者であり、聖人は罪人であり、金持ちは破滅した者である」、と宣言します。それで彼らは驚き怪しみ、怒り狂うのです。
(マルチン・ルター、宝石箱)

使徒言行録 10章42~43節

そしてイエスは、御自分が生きている者と死んだ者との審判者として神から定められた者であることを、民に宣べ伝え、力強く証しするようにと、わたしたちにお命じになりました。また預言者も皆、イエスについて、この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる、と証ししています。(使徒言行録 10章42~43節)

たった一つの説教が心に深く突き刺さり、その影響がずっと後にも続いていくことがあります。その後の人生でその人が聴く説教の数々は、初めに聴いたあの説教を補強するか、あるいは侮辱するか、そのどちらかです。
(マルチン・ルター、宝石箱)

ヨハネによる福音書 20章21(後半)、23節

父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。(ヨハネによる福音書 20章21(後半)、23節)

私共説教者はキリストの職務にあって、「罪を叱責し、罪を赦す」ことを通して主なる神様をお助けしています。罪を叱責しない説教者は、地獄を開き天国を閉じています。同様なことは、罪を赦さない説教者も行っているのです。それゆえ、「罪を叱責し、罪を赦す」というこの両面を説教しなければなりません。
(マルチン・ルター、宝石箱)

マタイによる福音書 13章3節

イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。 (マタイによる福音書13章3節)

最良の説教者とは、キリストが人々を単純なたとえを用いて教えられたのと同じように、とても簡単に、ひねった表現を用いずに、長々と話さないで、いろいろな年齢の人たちに教えることができる人のことです。最良の聴衆とは、喜んで御言葉を聞き、素直にそれを信じる人のことです。たとえ彼らが弱い信仰の中にいるとしても、教え自体を疑ってはいけません。彼らは救われるのだし、助けを得ることができます。神様は私たちの弱さばかりではなく、たくさんの欠点をも忍んでおられるのです。私たちがそれらを正直に告白し、十字架のもとへと避難し、罪の赦しの恵みを乞い、心を入れ替え、熱心に神様の御言葉を聴き、それを信じ、それに基づいて罪人の生活を正していくときには。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)

イザヤ書 40章11節

主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め/小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる。(イザヤ書 40章11節)

キリストを次のようなお方として描いて説教すべきです。キリストは、たとえどれほど弱かろうとも、誰ひとり、お見捨てにはなりません。御自分が常に義しく良い羊飼いであることを皆が理解するようになるために、一人一人を集め、慰め、強めてくださるのです。そのようなお方としてキリストを宣べ伝えれるならば、人々はキリストの御許へと、無理に強いなくても自分から進んで、また誰に急き立てられるでもなく、やって来るようになるでしょう。
(マルチン・ルター、宝石箱)

詩編 111篇10節

主を畏れることは知恵の初め。これを行う人はすぐれた思慮を得る。主の賛美は永遠に続く。(詩編 111篇10節)

学問や芸術の領域では、多くを見聞した者が専門家になれるわけですが、神学や霊的な知恵の領域では、見聞や探究は無益であり、専門家に要求される大切な唯一の基準は「神様の御言葉を聴いて信じる」ことです。何か他の基準をもつ者は道を踏み外します。そのような人は、たとえこの世のあらゆる知恵に精通していたとしても、何もできず正しく説教することもできません。
(マルチン・ルター、宝石箱)

ルターの著作の翻訳者 高木賢(フィンランド・ルーテル福音協会)
このサイトに引用されているのは聖書新共同訳です。
聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会

Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1987,1988

マルティン・ルター
1483年~1546年
神学者、牧師
宗教改革の創始者