タグは ‘賛美’

ペトロの手紙一 3章14節~15節

しかし、義のために苦しみを受けるのであれば、幸いです。人々を恐れたり、心を乱したりしてはいけません。
心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。
(ペトロの手紙一 3章14節~15節)

不幸な出来事で苦しめられていても、「神様に賛美と感謝あれ!」と言えるときには、私たちは主キリストを心の中で聖とあがめています。私たちは神様を聖なる方として賛美しなければなりません。神様の御言葉を信じるときに、私たちはそうしてます。私たちが正義のために苦しむときに、神様は私たちをお見捨てにはなりません。憐れみをもって私たちと共に歩み、私たちを助け、私たちの敵に復讐してくださいます。
(マルチン・ルター、宝石箱)

コロサイの信徒への手紙 3章17節

そして、何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい。(コロサイの信徒への手紙 3章17節)

感謝と賛美。これらこそ、私たちが神様に差し上げることができるよいものです。ここに真の礼拝があります。神様御自身が次のように告げてくださっている通りです、「感謝をささげる者は私を敬っています。正しい道に留まっている者は、どのように神様が救ってくださるか、見ることができます」(詩編50編23節)。私たちが神様にこのような感謝のささげものをするために、神様は私たちによいものをすべて与えてくださっているのです。
(マルチン・ルター、宝石箱)

ガラテヤの信徒への手紙 3章8~10節

聖書は、神が異邦人を信仰によって義となさることを見越して、「あなたのゆえに異邦人は皆祝福される」という福音をアブラハムに予告しました。それで、信仰によって生きる人々は、信仰の人アブラハムと共に祝福されています。(ガラテヤの信徒への手紙 3章8~10節より)

真のクリスチャンは、人々が「自分たちは何ほどの者でもなく、キリストがすべてにおいてすべてである」ことを知るようになることを目的として、キリストを賛美し宣教するときに、他のどのような行いよりも立派な行いをしています。
(マルチン・ルター、宝石箱)

ヨハネによる福音書 7章37~38節

祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」(ヨハネによる福音書 7章37~38節)

イエス様は限りも終わりもない、満ち満ちたお方です。あなたがたはこの方を臆することなく汲み出して、喜びに浸りながら飲みなさい。この満ち満ちた有り余る豊かさは永遠に涸れることがありません。ですから、あなたがたはイエス様に永遠に感謝し賛美するのが当然なのです。
(マルチン・ルター、宝石箱)

詩編 18編4節

ほむべき方、主をわたしは呼び求め/敵から救われる。(詩編 18編4節)

危険に直面したときに神様への賛美がどれほど強力な武器であるか、私たちは信じることができないほどです。神様を賛美し始めると、たちまちのうちに悪は弱まり、あなたは勇気が湧いてきて神様に信頼して助けを叫び求めることができます。神様に本当に仕えている人たちは、いつもこのようにして悪に対抗するための慰めと助けを探し求めてきたのです。まずはじめに賛美し、それから助けを求めて叫びましょう。
(マルチン・ルター、宝石箱)

ルターの著作の翻訳者 高木賢(フィンランド・ルーテル福音協会)
このサイトに引用されているのは聖書新共同訳です。
聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会

Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1987,1988

マルティン・ルター
1483年~1546年
神学者、牧師
宗教改革の創始者