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ペトロの手紙一 4章12節

愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふりかかる火のような試練を、何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。 (ペトロの手紙一 4章12節)

隣人や町全体、さらには世界全体が
私たちクリスチャンとは違う生き方をしている場合であっても、
偉大な人々、優れた人々、
富裕な人々、権力のある人々までもが
それに同調している場合であっても、
私には彼ら以上に偉大な友がいます。
それは、キリストとその御言葉です。
私はひとりで歩んでいても、実はひとりではありません。
なぜなら、
私には神様の御言葉があり、
私のところには
キリストと
すべての善き天使たちと
この世の始め以来聖なる人々全員が
共にいるからです。
そういうわけで、私の周囲には、
この世のほかのどこにもないような偉大で高貴な交わりの場があります。
たとえ私がそれを目で見ることはできず、
大多数の人々が私から遠ざかったり、
(クリスチャンの)私とは違う生き方をしていても、
それは変わりません。

十字架の下で過ごすこの人生は、
私に対して敵を作るばかりです。
このことを知らないか信じない人は、
キリストの十字架の御跡に従って正しい生き方を始めなさい。
そうすればその人は、
全世界がその人に敵対しており、その人を侮蔑し、
愚かな流浪者、悪い人間として迫害してくることに、
まもなく気が付くことでしょう。

キリストの御国が来る時には、
それに伴って聖なる十字架もやって来ます。
それは、その十字架と通して信仰が鍛えられていくためです。
十字架のもたらす「悲嘆」は実は、
「新しい人」が生まれ「古い人」が消え去っていくような
「誕生」なのです。
 
主は、
御自身が担われた十字架を私たちも担うように、
とは命じておられません。
そうではなく、
皆がひとりひとり自分自身の「十字架」を担うようにと、
主は言われています。
人にはそれぞれ、自分の力に応じて、
(その人に合った)十字架が用意されています。
なぜなら、
私たちは信仰や霊的なことがらに関して同じではないので、
皆が同じことを苦しむことができないからです。

(マルチン・ルター、信仰生活アドヴァイス)

ガラテヤの信徒への手紙 1章6節

キリストの恵みへ招いてくださった方から、あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています。(ガラテヤの信徒への手紙 1章6節)

クリスチャンに対して迫害や破壊によって危害を加えることができないときには、
逆に改善や建設によって危害を及ぼすのが、悪魔ならではの策略です。
それを知っておきましょう。
悪魔は今日まで私たちを暴力によって滅ぼそう、福音の光を消そう、
とやっきになってきましたが、失敗しました。
悪魔は幾人かのクリスチャンを殺しましたが、
彼らは皆、私たちの教えを神様の御心にかなう聖なる教えであると告白しました。
彼らの血によって、教会は滅ぼされるどころか、強められたのです。
悪霊は、このやり方ではうまくいかなかったので、
今度は神様を侮辱する偽教師たちを起こしました。
彼らは、はじめは私たちの教えを認めて、
私たちと心をひとつにしてそれを教えていましたが、
後になって態度を変えました。
彼らは、
「お前たちの使命はキリスト教の初歩を教えることだ。
しかし、我々には神は聖書の真の奥義を啓示した。
だから、我々の使命はこの奥義を世に伝えることなのだ」、
と主張したのです。
このようなやり方で悪魔は、右からも左からも福音の勝利の歩みを妨げようとします。(中略)
それゆえ、私たちは、左右から攻めてくる悪魔の騙しの策略に勝つために、
絶えず祈り、読み、キリストと御言葉に留まらなければなりません。
私たちの戦いの相手は血や肉ではないからです(エフェソの信徒への手紙 6章12節)。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)

使徒言行録 24章5節

実は、この男は疫病のような人間で、世界中のユダヤ人の間に騒動を引き起こしている者、『ナザレ人の分派』の主謀者であります。(使徒言行録 24章5節)

いたるところで次のような文句を耳にします、
「福音は平和をかき乱し、諍いを巻き起こしている。
福音が来てからというもの、何もかも昔より悪くなるばかりだ。
以前はあらゆる面で平穏と静謐に満たされていた。
迫害もなく、人々は皆互いに(少なくとも友人や隣人とは)
仲良く暮らしていたものだ」。
このような文句に対しては、次のように答えましょう、
「静かに平和に事が進むはずがありません。
福音の宿敵である悪魔が支配しているところでは、
それはありえないことです!」。
キリストがその福音によって悪魔の帝国を圧迫し続けておられる間は、
私たちも平和や安穏を期待してはいけません。
現在人々が取り戻したいと願っているあの以前の生活の平穏は、
本当に悲しむべきことでした。
そのような「平穏」は、
悪魔による支配とキリストの不在との確かな証拠だったからです。
しかし私は、
今人々が望んでいる通りに福音が私たちから取り去られて、
その「平穏」がいつか戻ってきてしまうのではないか、
と危ぶんでいます。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)

使徒言行録 8章1(後半)、3~4節

その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。しかし、信仰深い人々がステファノを葬り、彼のことを思って大変悲しんだ。(中略)一方、サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた。さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。( 使徒言行録 8章1(後半)、3~4節)

暴君どもは福音に対して怒り狂い、炭の火に空気を送り込むような真似をしますが、それでどんどん激しく火が燃えて、終いには彼ら自身がその目に灰と煙を受けることになります。
(マルチン・ルター、宝石箱)

ルターの著作の翻訳者 高木賢(フィンランド・ルーテル福音協会)
このサイトに引用されているのは聖書新共同訳です。
聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会

Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1987,1988

マルティン・ルター
1483年~1546年
神学者、牧師
宗教改革の創始者