ローマの信徒への手紙 10章4節

キリストは律法の目標であります、信じる者すべてに義をもたらすために。(ローマの信徒への手紙 10章4節)

誰でも、福音が訪れる前には、律法を私たち自身の行いを要求しているものとして理解します。律法についてのこのような考え方は、私たち人間を、かたくなで、自己満足的で、自分の行いを誇る、石甕のように硬い(「ヨハネによる福音書」2章)偽善者にするか、あるいは、まわりから圧迫を受けて苦しみを受け、平安を欠いた良心の持ち主にします。
 (中略)
しかし、福音は、律法が、私たち人間には不可能なことを要求しており、私たち自身ではない他のあるお方がその要求を満たすことを望んでいる、という説明を与えます。言い換えれば、律法はキリストを要求しており、私たちをキリストのみもとへと追いやるのです。それは、私たちが、御言葉の恵みを通して信仰へと導かれて、別の人間になり、キリストに似た者となり、正しくてよい行いをするようになるためです。律法の真の意味と目的は、私たち人間が自分の力では律法を満たすことができないことをあきらかに示して、私たちが恵みや助けを、他のお方に、すなわちキリストに求めるように追い立てることなのです。
 (中略)
私たちの心が、キリストは私たちのために律法を満たし、私たちの罪を引き取ってくださったことを聞くときに、律法が私たちに対して不可能なことを要求していることをもはや気にかけたりはしないし、(律法に従おうとする)行いをやめてしまって、絶望に落ち込んだりもしません。そうです。律法が、偉大なことを要求する、深く高く聖く正しくよいものであることが、いまや本当にすばらしいと実感できるようになります。そして、律法が要求している内容の豊富さと大きさのゆえに、律法は愛され賛美されるようになります。そのような心の持ち主は、福音のおかげで、キリストにあって、律法の要求していることをすべてもっていることになります。
(中略)
御覧なさい。こうして律法は、以前には厳しく重く不可能なものであったのに、いまや愛すべき軽いものに変わっています。律法は、今では御霊によって心に書き込まれているからです。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)

ルターの著作の翻訳者 高木賢(フィンランド・ルーテル福音協会)
このサイトに引用されているのは聖書新共同訳です。
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(c)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1987,1988

マルティン・ルター
1483年~1546年
神学者、牧師
宗教改革の創始者