罪の赦しを受ける
罪の赦しを受けることについて(その1)
愛する神様、
私はあなたの御前で、自分が罪深い者であることを告白します。
あなたの十戒が私を、
まっすぐ地獄に追いやり、突き落とします。
しかし、
愛する福音は私に、
憐れみ深いあなたが、
本来なら滅ぶべき貧しい罪人を助けようと望まれ、
それを実現するために、キリストを通して御国を建てられた、
ということを教えてくれます。
福音によれば、
このことを知って信じるのが、最高の知恵なのです。
ですから、
私は今、ざんげと信仰告白をひとつの言葉にまとめます。
私は確かに罪深い者ですが、
神様は私に対して憐れみ深い方です。
私はあなたの敵ですが、
あなたは私の友です。
私は、自分の罪のゆえに、
本来なら永遠の滅びの罰を受けるのが当然なのですが、
あなたは、私が滅びずに、救われて、
天の御国を継ぐ者とされることを望んでおいでです。
このことを私は知っています。
そうです。まさにそのように、あなたは望んでおられるのです。
あなたは、私がこのことを宣べ伝えるように計らってくださり、
また、私のためにお与えになった愛する御子のゆえに、
私がそう信じるよう、命じておられます。
アーメン。
罪の赦しを受けることについて(その2)
愛する主イエス・キリスト様、私は自分の罪を知っています。
それらは私を焦がし、蝕み、怯えさせます。
いったいどこに私は逃げるべきなのでしょう。
主イエス・キリスト様、私はあなたを見つめます。
そして、弱りつつも、とにかくあなたを信じます。
「私を信じる者は永遠の命を得る」というあなたの御言葉を、
私は確信を持ってしっかり保ちます。
たとえたった今、私の良心が深く苦しんでいて、
私の罪が私をおびえさせ震え上がらせている場合であっても、
「私の子よ、安心しなさい。
あなたの罪は赦されました。
あなたは永遠の命を受けることになります。
私はあなたを最後の日に復活させたいのです」、
とあなたは言ってくださるからです。
私は自分の力で自分を助けることができません。
それゆえ、私は御許に参ります。
どうか私を助けてください。
アーメン。
罪の赦しを受けることについて(その3)
神様、あなたは、
「罪人が悔い改めるとき、天には大きな喜びがある」、
とも、
「すべての義とされた者と天使とは、罪を地面に蹴落とし、それを覆う」、
とも言っておられます。
神様、今私はここにいます。
私は自分の罪を知っており、私はすでに裁きを受けています。
私には、自分を探し出してくれる羊飼いが必要です。
それゆえ、私は勇気を持って福音に信頼します。
神様、ほかならぬ私が、
その福音に出てくる「迷子になった羊」また「なくなった銀貨」であり、
あなたが、「羊飼い」また「銀貨を見つけた女」なのだと、
あなたが言っておられることを、私は知っています。
私は、これらの御言葉をしっかりと保持したいと思います。
あなたの「戒めの鏡」に自分を映すことによって、
私は、自分が堕落し滅んだ人間であることが、わかります。
ですから、神様、
あなたの独り子のゆえに、私を助け出してください。
アーメン。
罪の赦しを受けることについて(その4)
憐れみ深い救い主よ、
あなたはいかに賢くすべてを始めてくださったことでしょうか!
私は、あなたが私の兄であることを知っています。
「詩篇」に「私はあなたの御名を私の兄弟たちに宣べ伝えます」(22篇23節)
とある通りです
(ここで「私」とは御子を、「あなた」とは御父を、
「私の兄弟たち」とはキリスト信仰者をさしています。訳者註)。
主キリストよ、
あなたは神様であり、天地の王ですが、私はあなたを怖がったりはしません。
なぜなら、
あなたは私の友であり、私の兄であり、私と同じ肉体を持ったお方だからです。
私は罪深い者ですが、あなたは聖なるお方です。
しかし、私は戸惑いません。
もしもかりに私が罪人でなかったならば、
あなたは私のために苦しみを受ける必要はなかったでしょうから。
それゆえ、私の心は安らかです。
あなたの系図(「マタイによる福音書」第1章の冒頭)の中には、
よい人もいれば悪い人も含まれています。
こうした人々を通して、あなたはこの世に生まれることを望まれたのです。
それは、
怯えている内気な良心の持ち主たちをあなたが慰めるためでもあったでしょう。
「彼らが勇気を持って、
私たちの罪を取り除いてくださったあなたに信頼するように」、と。
また、
「私たちに遺してくださった御言葉によって、
私たちがそのことを確信するように」、と。
このようなあなたに対して、永遠に感謝が捧げられますように。
アーメン。