エフェソの信徒への手紙 5章25~27節
夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。キリストがそうなさったのは、言葉を伴う水の洗いによって、教会を清めて聖なるものとし、しみやしわやそのたぐいのものは何一つない、聖なる、汚れのない、栄光に輝く教会を御自分の前に立たせるためでした。(エフェソの信徒への手紙 5章25~27節)
キリストは言われます、「私の花嫁にかまわうな。もしも彼女に落ち度があれば、私はそれをなおしたい。もしも彼女が十分に美しくもきれいでもないなら、私は彼女を美しく飾り清めます。もしも彼女があなたの気に入らない場合であっても、私が彼女を選びきれいに洗ったから、私は彼女が気に入っているのです。たとえ彼女がまだ罪や死や病気で苦しんでいても、私には義と命とあらゆる永遠の宝物があり、それらによって私は彼女を着飾ります」。
(マルチン・ルター、宝石箱)