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ペトロの手紙一 2章21節
あなたがたが召されたのはこのためです。というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。(ペトロの手紙一 2章21節)
すべてのクリスチャンの受難は、今日もまたキリストの受難に隠され、覆われ、その無垢さによって飾られなければなりません。私たちは、全キリスト教会と共に「私たちの罪を赦してください」と告白しつつ、罪の赦しの信仰告白を祈らなければなりません。私たちの受難は、たとえそれが最も悪く大きく難しいものだとしても、キリストの御跡にはるか後ろから従うことにほかならないからです。
(マルチン・ルター、宝石箱)
ヘブライ人への手紙 11章24~26節
信仰によって、モーセは成人したとき、ファラオの王女の子と呼ばれることを拒んで、はかない罪の楽しみにふけるよりは、神の民と共に虐待される方を選び、キリストのゆえに受けるあざけりをエジプトの財宝よりまさる富と考えました。与えられる報いに目を向けていたからです。(ヘブライ人への手紙 11章24~26節)
キリスト御自身が苦しまれたゆえに受難は非常に貴いものになりました。本来ならば人は、自分がこの賛美されるべき大いなる恵みにあずかるにはふさわしくない、と見なすべきところです。それゆえ、私はお願いします、愛する友よ!苦しみをおそれないように!殺されることさえもおそれないように!あなたたちは(天国の)真の共同相続人としてキリストと共に苦しまなければならないのです。私たちの救い主イエス・キリストが御自分で用意してくださった永遠の栄光に較べたら、この人生の苦しみは何ほどのものでしょうか?
(マルチン・ルター、宝石箱)