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ヨハネによる福音書 6章35節
イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。(ヨハネによる福音書 6章35節)
朝起きたとき、昼間活動しているとき、またこの世を去るとき、どこに避け所を求めることができるか、人が皆知るために、この御言葉は金文字で、それどころか活きている文字で書かれるべきです。人は皆、自分自身に次のように言いきかせる大切な技術を学ぶべきです、「ここに、つまりキリストのところに、私の魂は憩うことができる。だから、私はもう決して飢え渇く必要がない」。
(マルチン・ルター、宝石箱)
これはとても力強い御言葉です。
キリストは神様の与えてくださったパンや食べ物であり、
それを食べることによって永遠に活き、満腹になるので、
決して飢えたり渇いたりしなくなる、というメッセージは、
聖書全体でも類を見ない鋭さをもっています。
「私のもとに来る者は」、とキリストはとてもやさしく語り始められます。
そしてそれを、
「私を信じる者は皆」、という意味であると説明してくださいます。
キリストのみもとに来ることは、キリストを信じることです。
そして、キリストを信じることは、
(キリストという)パンを「自分のもの」としてそれを食べることです。
しかし、キリストはここで
教会の聖餐式における食べることや飲むことを
さしておられるわけではありません。
なぜなら、
キリストを食べること、
キリストのみもとへ行くこと、
そしてキリストを信じることは、
すべて同じ事柄だからです。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)