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ガラテヤの信徒への手紙 3章8~10節
聖書は、神が異邦人を信仰によって義となさることを見越して、「あなたのゆえに異邦人は皆祝福される」という福音をアブラハムに予告しました。それで、信仰によって生きる人々は、信仰の人アブラハムと共に祝福されています。(ガラテヤの信徒への手紙 3章8~10節より)
真のクリスチャンは、人々が「自分たちは何ほどの者でもなく、キリストがすべてにおいてすべてである」ことを知るようになることを目的として、キリストを賛美し宣教するときに、他のどのような行いよりも立派な行いをしています。
(マルチン・ルター、宝石箱)
使徒言行録 4章11~12節
この方(イエス様)こそ、『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石』です。ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」(使徒言行録 4章11~12節)
私たちはキリストとこの方の御国を正しく宣教しなければなりません。この方は私たちがお祈りするべき主です。この方を信じることによって、私たちは救われます。十字架につけられたナザレ人イエス様の御名には、人を救う力があります。