タグは ‘導き’
ローマの信徒への手紙 8章12節
それで、兄弟たち、わたしたちには一つの義務がありますが、それは、肉に従って生きなければならないという、肉に対する義務ではありません。(ローマの信徒への手紙 8章12節)
あなたがたは、今やクリスチャンになり聖霊様をいただいているので、あなたがたの新しい召し、立場、存在は、あなたがたが御霊の導きによって生きていくことを義務付けています。しかし、そうするかしないかを、自分で選ぶことはできません。もしも恵みや御霊を誇るのならば、御霊に従って生きていく義務があり、自分たちの利己的な性質に振り回されつづけてはいけないことを、あなたがたは告白しなければなりません。なぜなら、あなたがたの自己中心的な性質は、罪の中に生きつづけようとするものだからです。
(マルチン・ルター、宝石箱)
ルカによる福音書 22章51節
そこでイエスは、「やめなさい。もうそれでよい」と言い、その耳に触れていやされた。(ルカによる福音書 22章51節)
神様は私たちの悪い行いをよいものに変えることができます。私は不適切な計画を下手に立てて、その結果やっかいな問題が起き、しかもそこから抜け出せる希望がなくなって、恐怖のどん底に落とされたものでした。しかし、主は私のせいで生じた過失を修復して、すべてを再びよいものにしてくださいました。このようにして、主は御自分の聖徒たちを導いてくださいます。
(マルチン・ルター、宝石箱)
詩編 32編8節
わたしはあなたを目覚めさせ行くべき道を教えよう。あなたの上に目を注ぎ、勧めを与えよう。(詩編 32編8節)
主はこう言われています。あなたは私に教えようとしても、自分自身に教え込もうとしてもいけません。あなたは私に自分を委ねなさい。私はあなたの師匠であり、私の御心に適うようにあなたが歩めるような道であなたを導いていきます。自分の考えどおりに進まないとき、すべてがだめになったとあなたには見えることでしょう。そういうときには、あなたの考えはあなた自身を傷つけ私を妨げます。あなたの思い通りにうまくいくことなどは何もなく、あなたの理解を超えてすべてことは運ぶのです。自分の理解力のなかでへりくだりなさい。そうすれば私の理解力をあなたは得ます。
(マルチン・ルター、宝石箱)
詩編 23編5節
わたしを苦しめる者を前にしても/あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ/わたしの杯を溢れさせてくださる。(詩編 23編5節)
主は驚くようなやり方で、私を真にかけがえのない兵士にし、敵と戦えるように武装してくださいます。肉体的にも霊的にも、主は私を養い元気付けてくださいます。主は私を正しい道に留まらせてくださいます。主は私に鞭と杖を与えてくださいます。しかし、それらを私は手ではなく口で運ぶのです。それらによって私は悲しんでいる者皆を慰めます。そして、私は悪魔をその使徒たち共々追い払います。たとえ彼らがどれほど狡猾で凶暴であったとしてもです。
(マルチン・ルター、宝石箱)
詩編 1篇6節
神に従う人の道を主は知っていてくださる。神に逆らう者の道は滅びに至る。(詩編 1篇6節)
いたるところで人々は義なる人の道を捨ててそれをさげすみ、「神様もその道を知らないだろう」などとうそぶいています。それは、信仰と知識とが「十字架の知恵」だからです。神様おひとりが義なる人々の道を知っておられます。その道は義なる人々からも隠されています。神様の右の御手が彼らを奇跡のように導いていきます。それは「感情や理性の道」ではなく「信仰の道」です。この道は暗闇の只中を貫通し、そこで私たちは見えないものを見ることになるのです。
(マルチン・ルター、宝石箱)
創世記 50章20節
あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、(創世記 50章20節より)
私があなたたちの主人にならないようにするために、あなたたちは私の命を狙い、私を異邦人に売りましたが、こうしたあなたたちの策略により、かえってあなたたちは私をあなたたちの主人にしてしまったのです1。神様はあらゆる不幸さえも私たちの益になるようにされる達人です。「神様は全能ですべてを支配されている」と信頼するとき、私は敵を恐れません。なぜなら、神様は彼らの考えや心を私の考えや心と同じように支配されているからです。神様は生と死をつかさどっておられます。
(マルチン・ルター、宝石箱)