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ヘブライ人への手紙 12章6節
なぜなら、主は愛する者を鍛え、
子として受け入れる者を皆、
鞭打たれるからである。(ヘブライ人への手紙 12章6節)
一見すると神様は
クリスチャンにもクリスチャンではない人にも同じように接しておられ、
クリスチャンにはより悪いことが起こるようになさる
とさえ感じられることがあります。
しかし、神様は
クリスチャンを身内のものとして、
神をないがしろにする者を召使として
扱っておられるのです。
父親は息子を懲らしめることもありますが、
同時に息子にいつか継がせることになる宝を取り集めておくものです。
悪い不従順な召使は懲らしめを逃れることができますが、
そのかわり家から追い出されて、何も継がせてはもらえません。
まさにこうした理由から、
神様は、
神をないがしろにする者たちが何の妨げもなくやりたい放題にさせ、
御自分の愛する子供たちがこの世で辛く苦しい目にあうようになさるのだ
としか、私には思えません。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)
使徒言行録 14章22節
弟子たちを力づけ、「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」と言って、信仰に踏みとどまるように励ました。(使徒言行録 14章22節)
正直なクリスチャンであろうと望む人は誰でも、
「苦難を経なければ、キリストをしることを学ぶようにはならない」
ということを覚えておかなければなりません。
「敵が私の魂を迫害する」と私は言いますが、その意味は、
私の敵が自分の知恵と義によって常に私に反抗してくる、
ということです。
これは、アベルにはカインがおり、イサクにはイシュマエルがおり、
ヤコブにはエサウがおり、キリストにはユダがいたことからわかります。
それぞれ後者は前者の魂と、魂に関わることがら、
すなわち真理と義において、反抗したのです。
なぜなら、傲慢な者たちは
自分の真理と義とが実は何の価値もないことを認めたくはないからです。
それゆえ、彼らは、
神様の真理と義のなかでのみ生きている「真に義なる人々」を迫害するのです。
聖書のあちらこちらで示されているように、
神様が私たち人間を扱う自然なやり方は次のようなものです。
神様はまず人をおびやかし、こわがらせ、その心をくじけさせます。
そのあとで、神様は人を慰め、その心を勇気づけます。
神様はまず肉を殺し、それからふたたび霊を活きたものとなさるのです。
神様はふつうこのようになさいます。
神様は、御自分が引き上げようと望む人を、まず地にたたきつけます。
御自分が活きた者にしようと望む人を、まず殺します。
御自分が義としようとする者を、まず罪人になさいます。
御自分が富裕にしようと望む者を、まず貧しくします。
御自分が天にあげようと望まれる者を、まず地獄に追いやります。
このように、いつも恐怖が前を行き、その後に慰めと喜びが従います。
「敵は私の命を地に打ち砕きました」(「詩篇」143篇3節)。
要するに、敵は栄光をまとって生きており、
社会の上層部を独占して威張っています。
彼らはそうした外見にもとづき、
人々の見ている前でも目立つ上座にのぼります。
それゆえ、私は完全に屈服させられ、
人々の目には見捨てられ蔑まれた存在とならなければなりません。
なぜなら、こうした御言葉によって預言者は、
恵みとキリストの中に生きている人が
いかに取るに足りない存在に見えるか、
示そうとしているからです。
その人に敬意を払う者は誰もいません。
その人は皆の侮蔑の対象となり、
「役立たずの失格者」、
「人々がふつう行うあらゆることに関して危険極まりない人物」
というレッテルを貼られます。
このような目にまだあったことがなく、
その人の善い行い、言葉、決断、計画を
「無用の害悪だ」と嘲笑する敵がまだいない人は、
実はまだキリストの御許に来てはいません。
ただし、「自分自身」が自分の敵になって、
本来なら他の敵がその人に対してやるべきこと(侮蔑など)を、
自分に対して行う場合には、話は別です。
その時、人は、
自分のあらゆる善いわざ、言葉、仕事、生活、そして自分自身を
「役立たずの道化」とみなすでしょう。
そして、心から正直に、また徹底的に、
自分をそのような者としてとらえることでしょう。
この世の王国、つまり悪魔の王国は、違反と罪と永遠の滅びの王国です。
しかし、キリストの王国は、義と恵みと平和と永遠の命の王国です。
私たちはこの王国に、主イエス・キリストをとおして移されているのです。
あなたは、もしもキリスト信仰者でありたいと望むなら、
宮廷服に着替えなければなりません。
しかし、キリストは宮廷の臣下に「苦しみ」という服以外は賜りません。
(マルチン・ルター、信仰生活アドヴァイス)
ルカによる福音書 12章6~7節
五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」(ルカによる福音書 12章6~7節)
心配や悩みをすべてひとつに集めて、まるでそれが燃えさしであるかのように、神様の無限の愛と配慮に満ちた海に沈めてしまいましょう。そして、それら心配事を些細なこととみなして話し合いましょう。
(マルチン・ルター、宝石箱)