フィリピの信徒への手紙 2章8節

へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。(フィリピの信徒への手紙 2章8節)

真の謙虚さは、謙虚さとは何か知らないものです。
もしも知っていたならば、
そのように大きな(自分の)美徳について高慢になってしまうことでしょうから。
しかし、
偽りの謙虚さは、自分が高慢であることを決して知るようにはなりません。
もしもそれを知っていたならば、
自分の高慢を憎んで、たちまちのうちに謙虚になったことでしょうから。
  
神様の知恵は、
高慢な人々に対しては、たんに外面的な現象としてあらわれます。
しかし、
謙虚な人々に対しては、内面的な真理や隠された基盤としてあらわれます。
 
人は、自分の救いが、
自分自身の力や助言や懸命な努力や意志や行いの決して及ばない
「外部」にあることと、
「他の存在」、すなわち唯一なる神様、の自律や助言や意志や行いに
全く依存していることとに気が付くまでは、
自分自身を心底から謙虚にはできません。

私を謙虚にし、
自分が取るに足らない存在であることを教えてくれることを、
私は自分の内に十分すぎるほどもっています。
しかし、神様の内では、私たちは誇りをもつべきだし、
神様の与えてくださる様々な賜物について大いに喜び、
誇りをもって周りの人たちに語るべきです。
 
皆の中で最悪に高慢な者だけが、
自分を謙虚だとみなし、それを誇って言いふらします。
 
畏れと謙虚さがなくては、誰も神様を喜ばせることはできません。

キリストほど、自分を深みへと下降させた方は誰もいないし、
キリストほど、自分を取るに足りない者とみなした方は誰もいません。
それゆえ、イエス様だけが次のようにおっしゃれるのです、
「私から学びなさい。
なぜなら、私は静かで謙虚だからです」。
このような言葉は、
キリスト信仰者の誰一人として、口にしたことはないし、
また言ってはいけないものです。
誰一人として、
イエス様のような最高級の謙虚さと静けさを身に着けた者はいません。
この唯一の師に対しては、誰でも弟子の立場に留まるほかありません。

(マルチン・ルター、信仰生活アドヴァイス)

ルターの著作の翻訳者 高木賢(フィンランド・ルーテル福音協会)
このサイトに引用されているのは聖書新共同訳です。
聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会

Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1987,1988

マルティン・ルター
1483年~1546年
神学者、牧師
宗教改革の創始者