コリントの信徒への手紙一 5章7節

キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠られたからです。(コリントの信徒への手紙一 5章7節より)

「私たちの過ぎ越しの羊であるキリストがほふられている」という聖パウロの御言葉はどういう意味でしょうか。それについて私たちは受難の歴史から聞いて知っています。ここでは二つのことに注目するべきです。まず第一に、私たちは、罪に対する神様の猛烈な怒りを思い起こさなければりません。この怒りを和解によって鎮めることができるのは、唯一の犠牲、神様の御子の死と血のみです。私たちは皆、自分自身の罪によってこの怒りの原因となっており、神様の御子が犠牲となられ、十字架でその血を流すほかないような事態を招きました。第二に、私たちは、私たちに対する神様の恵みと愛を見てそれを覚えなければなりません。それは、私たちが神様の怒りから解放されるためになぜ神様はその独り子を惜しまれずに十字架の死に渡されたのかについて、自分の罪のひどさを知った私たちがよく考えてみるためなのです。これより大きな愛のわざがありうるでしょうか。
(マルチン・ルター、宝石箱)

ルターの著作の翻訳者 高木賢(フィンランド・ルーテル福音協会)
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マルティン・ルター
1483年~1546年
神学者、牧師
宗教改革の創始者