旧約聖書
創世記 4章10節
主は言われた。「何ということをしたのか。お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる。(創世記 4章10節)
「神様はアベルの死後もアベルの世話をとてもよくしてくださった」、とモーセは語っています。すなわち、神様は、頼まれたわけでもないのに、アベルの血に突き動かされて復讐なさり、この世で生きていたときのアベルになさったことよりもよいことを、死んだ後のアベルに対してしてくださっているのです。これによってモーセは、神様は信仰者をその生存中にお見捨てにならないのと同様に、その死後もお見捨てにならないことを示しているのです。
(マルチン・ルター、宝石箱)
創世記 4章3~5節
時を経て、カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。主はアベルとその献げ物に目を留められたが、カインとその献げ物には目を留められなかった。カインは激しく怒って顔を伏せた。(創世記 4章3~5節)
この例はアベルのためではなく、アベルに似て貧しい神様の子供たちのために書かれています。たとえカインが傲慢に彼らを蔑むとしても、神様は彼らのことを忘れず、見捨てず、彼らに憐れみの目を向けられます。そして、カインをその長子の特権や供え物とともに流浪するに任せられます。
(マルチン・ルター、宝石箱)
創世記 2章18節
主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」 (創世記 2章18節)
結婚しているあなたは幸せです。
あなたはよい状態に置かれています。
すなわち、あなたが今いる立場では、
あなたは仕事をし、いろいろ苦労し、さまざまな反対にあいます。
実は、それは役に立つよいことなのです。
というのは、
そうしたことを通して「肉」(自己中心的な欲望など)が殺されて、
原罪(人が皆生まれながらにもっている罪の傾向)の働きを
せき止めることになるからです。
しかも、あなたは、結婚生活のなかで、
学校でのように、貴い知恵を学ぶことになります。
その知恵とは、
神様の御心に忍耐をもって従いつづけること、
また、一人暮らしの時には無かったような
愛と忍耐を保ちつづけなければならないこと、
です。
結婚する者は、実は、「試練に満ちた修道院」に行くのです。
一緒に平和な生活を送り、
すべてのことを安心して任せられる、
まじめで親切で働き者の結婚相手がいるのは、
神様の大いなる恵みであり賜物です。
男は、子ともたちや妻の心を励まし、彼らに仕えるために、
生活し、話し、活動し、耳を傾け、苦しみを甘受し、死ぬべきです。
同じように、
妻は自分の夫に、子ともは自分の親に、
召使いは自分の主人に、主人は自分の召使いに、
公的権威は部下に、部下は公的権威に、
各々が自分の隣人に、さらには敵に対しても、
行わなければなりません。
各々がいつでも他の人の手や口や目や足となり、
さらには心や思いにもなるようにしましょう。
(マルチン・ルター、信仰生活アドヴァイス)
創世記 2章16~17節
主なる神は人に命じて言われた。「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」(創世記 2章16~17節)
この命令を破ることによって、アダムは私たち皆を罪に陥れました。私たちは、アダムと血と肉でつながっているからです。アダムに起こったことは、私たちにも起こります。神様の御決定により、私たちは皆、ひとりの人間の子孫として生まれ、そのゆえまた、彼の「遺産」も受け継いでいるのです。アダムの行いのゆえにアダムに降りかかった呪いは、私たちにも降りかかっています。
(マルチン・ルター、宝石箱)
創世記 2章3節
この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。(創世記 2章3節)
アダムは、かりに彼が罪にまみれなかった場合であっても、安息日を聖としたことでしょう。その日に彼は自分の子孫たちに神様の御心を説明し、礼拝について教え、神様を賛美し感謝したことでしょう。
(マルチン・ルター、宝石箱)