ヨハネによる福音書 3章16節
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネによる福音書 3章16節)
信仰こそが、宝物を収める器です。
神様が「与え手」として私たちに賜るように、
私たちは信仰を通して「受け手」となるからです。
この信仰は、賜物を受け取る以外には何もしません。
この賜物が「私たちのもの」であるのは、
私たちの行いや功績のおかげではありません。
すべては私たちへの贈り物なのです。
口というより心を開いて、じっとしていなさい。
そして自分をそれで満たしていただきなさい(詩編 81編11節)。
信仰とは、「私たちが御子のおかげで滅びずに永遠の命をいただけるように、
神様はその独り子を賜った」、と本当に信じることです。
そのような信仰は、自分の力を省みたりしないし、
「自分はそれにふさわしい存在かどうか」などとは悩みません。
信仰は、自分に目を向けるのをやめて、
キリストに堅くつながり、キリストを「自分のもの」として受け入れます。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)