イザヤ書 57章15節
高く、あがめられて、永遠にいまし
その名を聖と唱えられる方がこう言われる。
わたしは、高く、聖なる所に住み
打ち砕かれて、へりくだる霊の人と共にあり
へりくだる霊の人に命を得させ
打ち砕かれた心の人に命を得させる。(イザヤ書 57章15節)
この地上で神様がお住みになる
「素敵な家、城、広間、楽園、天」とみなされる人は、
いかに大きな栄光と恵みを受けていることでしょう。
彼ら自身は、貧しく苦しむ臆病な良心の持ち主にすぎません。
彼らは心の中で、
罪、死、恐れ、神様の怒りへの恐怖しか感じていません。
彼らは、神様が遠くにいて悪魔がそばにいる、と思っています。
しかし、今日の聖書の箇所での約束を受けて入れた人は、
自分が神様が憩われる本当の住まい、神殿であることを知って、
喜びをもって自分を慰めることができます。
この人たちについて神様は、
傲慢な聖人たちに対抗してこう言われます、
「主はこう言われます、
「天はわたしの王座、地はわが足台。
あなたたちはどこにわたしのために神殿を建てうるか。
何がわたしの安息の場となりうるか」。
主は言われます、
「これらはすべて、わたしの手が造り
これらはすべて、それゆえに存在すると
主は言われる。わたしが顧みるのは
苦しむ人、霊の砕かれた人
わたしの言葉におののく人」」
(イザヤ書 66章1~2節)。
この地上で神様は、
このような人以外のところに住まわれたりはしません。
自己満足に浸っている聖人たちは、
神様にとっては、あまりも尊大で賢すぎるのです。
しかも彼らは、
神様がこの地上で彼らの中にお住まいになることを
願ったりもしません。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)
クリスチャンであることがどれほど尊い価値を持っているか、御覧なさい。
この地上でクリスチャンは、奇跡的な存在です。
神様の御前でクリスチャンは、天地よりも大切な存在です。
クリスチャンは、全世界の光であり救いを伝える存在です。
クリスチャンを通して、神様はすべてに働きかけておられます。
しかし、一方でクリスチャンは、
世に対しては完全に隠された、知られざる存在です。
世はクリスチャンを知るのにふさわしくはなく、
クリスチャンを評価もしません。
今日の御言葉は、
クリスチャンに与えられている言い表しようもないほど素晴らしい栄光
について語っています。
クリスチャンを通してのみ、
すなわち、クリスチャンの中で、
クリスチャンの言葉や行いや口や手を通してのみ、
神様は御自分を現すことを望まれます。
このように神様は、
クリスチャンとそうではない人との間に大きな差を設けられました。
クリスチャンは、
この世から見てどんなに価値がない存在であったとしても、
神様の御前では、
どんな王様や貴族や全世界よりも価値のある存在なのです。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)