ヘブライ人への手紙 12章2節

「イエスを見つめながら」(ヘブライ人への手紙 12章2節より)

キリストは、
恐れおののき打ちひしがれた心の持ち主にとっての
喜びとなる素晴らしいお方です。
キリストは私を愛して、御自分を私のために与えてくださいました。
キリストは、苦しみや罪や死の只中にある人々を愛されるお方です。
私の愛する友よ!
これ以上すばらしく、また喜ばしいことを
人は口にすることができるでしょうか?

キリストを信じる者は、
貧しさの中で豊かさを感じ、
恥辱の中で光栄を感じ、
嘆きの中で喜びを感じ、
死の中で命を感じ取ります。
その人は、
これらすべてを神様の御言葉に密着した信仰の中で保ち、
これらすべてを神様から待ち望みます。

「安心しなさい。私は世に勝っています」。
キリストが世に対する勝利者だというのはまったく正当です。
それなのになぜ私たちは、
キリストに対してすでに敗北している世に対して、
あたかもそれが勝利者であるかのように錯覚し、
恐れ震えているのでしょうか?

「私たちの義や聖のゆえではなく、私たちの罪のゆえに、
キリストは死に渡された」という言葉を
まったくの真理として受け入れるところに、
クリスチャンの特別な技能と知恵があります。

キリストは私たちを背負い、御父様のみもとに運んでくださいます。

もしもあなたが強く無敵でありたいのなら、
主キリストがあなたがたの力であることを認めなさい。

他人の、すなわち、全世界の罪、その負債をすべて払うために、
御自分の上に引き受けてくださったときに、
主キリストは非常に苦しまれました。
「他人の罪」が罪のない心の持ち主である主を苦しめたのですから、
自分の罪が自身の上に降りかかってきた場合には、
そうでなくても絶望しやすい私たち人間はいったいどうなってしまうと、
あなたは思いますか?

信仰とは、キリストを真剣に絶えず見つめることです。
それは、罪と死を取り除き、
私たちに義と永遠の命と救いをもたらしてくださった
キリストのみに集中することです。

呪いを避ける唯一の道は、信仰であり、
強い信頼によってこう言うことです、
「イエス様、あなたは私の罪、私の呪いです」。
あるいはむしろこう言うことです、
「私はあなたの罪、あなたの呪い、あなたの死、
あなたへと向けられている神様の怒り、あなたの地獄です。
しかし、あなたは、
私の義、私の祝福、私の命、私の神様の恵み、私の天国です」。

キリストは傷つけられた良心を癒してくださる唯一のお方、
天国からの賜物を分けてくださる唯一のお方、
真の信仰を守ってくださる唯一のお方、
日々のそして永遠の御言葉そのものです。

私の心を支配しているのは、次のひとつのことだけです。
すなわち、愛する主イエス・キリストへの信仰です。
それは、
あらゆる霊的なことがらや神様の御心にかなうような、
昼夜私に浮かぶ考えの唯一の中心であり、始めであり、終わりです。

(マルチン・ルター、信仰生活アドヴァイス)

ルターの著作の翻訳者 高木賢(フィンランド・ルーテル福音協会)
このサイトに引用されているのは聖書新共同訳です。
聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会

Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1987,1988

マルティン・ルター
1483年~1546年
神学者、牧師
宗教改革の創始者