コリントの信徒への手紙一 1章19~21節
それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを意味のないものにする。」知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。(コリントの信徒への手紙一 1章 19~21節)
私たち人間は、
「自分は神様についてよく知っている(自分には知恵がある)」
と思いこんでいます。
それは、楽園でアダムとエバが、悪魔にそそのかされて、眼が開かれ、
「自分は賢い」と思いこんでしまったことから始まっています。
これが今でも私たち人間を悩ませている病です。
神様の御言葉が宣べ伝えられるところには、
父なる神様とキリストと聖霊様
(すなわち、三位一体なる神様)がおられます。
しかし、
御言葉の星が照らさないところには、
キリストが住んでいる部屋はありません。
言い換えれば、
福音が照らさず、働きかけないところには、
たとえすごい奇跡が頻発したとしても、
決してキリスト教会は存在しません。
このことに注目しましょう。
御言葉をわきに斥けてキリストを手探りし始める者は、
偽りに支配されるようになります。
神様が働きかけておられるところでは、
理性に基づいて考えた場合には、
まったく絶望的に思えるようなことが起こります。
しかし、聖霊様によって、
最も素晴らしいやり方ですべてのことは進んでいきます。
このことを聖書は、いたるところで力強く教えてくれます。
私は、自分のことも満足に管理できないのに、
「全世界を支配したい」、などと夢想しています。
私は、神様に何かよい提案をして、
神様に教えようとしたことが何度もあります。
しかし、神様は、私のこうした「教師根性」が
実はまったく役に立たない代物であることを、
私の目にちゃんと示してくださいました。
(マルチン・ルター、信仰生活アドヴァイス)