マタイによる福音書 26章26~28節、コリントの信徒への手紙一 11章23~25節
一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。
(マタイによる福音書 26章26~28節)
私があなたたちに伝承したことは、私が主から伝承されたものです。すなわち、主イエスは渡される夜、パンを取り祝福して裂き、そして言われました、「これはあなたたちのための私のからだです。私を覚えるためにこれを行いなさい」。同じようにして食事の後、杯を取り、言われました、「この杯は私の血における新しい契約です。飲む度ごとに私を覚えるためにこれを行いなさい」。(コリントの信徒への手紙一 11章23~25節)
「聖壇のサクラメント」とは何でしょうか。それは、パンとぶどう酒のうちに含まれているものとして存在している、主キリストのまことの体とまことの血です。それらは、キリストが御言葉によって私たちが食べ飲むようにと命じられた、パンとぶどう酒のうちにあります。前に洗礼について話したときに、それは普通の水ではないのだ、と私たちは教えました。同じように、聖餐式はパンとぶどう酒ですが、普通の食事のパンとぶどう酒ではなく、神様の御言葉に結ばれ一体となったパンとぶどう酒なのです。御言葉がこのサクラメントを生み出すのであり、普通のパンとぶどう酒とは異なるもの、キリストの体と血、にするのです。「御言葉が物質と一体化するときに、サクラメントが生じます」。
(マルチン・ルター、宝石箱)