ガラテヤの信徒への手紙 3章27節
洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。(ガラテヤの信徒への手紙 3章27節)
私たちの服は、アダムの皮膚、死の衣装、罪の服、です。言い換えれば、私たちは皆、罪の支配下で屈従を余儀なくされています。私たちは恐るべきほど盲目で無知であり、神様を軽んじ神様に怒っています。その上、私たちは悪い欲望や汚れや貪欲などに満ちています。この服、すなわち、私たちの罪の性質を、私たちはすでに受胎のときにアダムから受けたのです。私たちはそれをすべての行いと共に脱ぎ去らなければなりません。しかし、それは服を代えることによっては成功しません。どんな律法や行いによってもだめです。それが実現するのは、パウロが「キリストにあって洗礼を受けたあなたたちは皆、キリストを身に着けたのです」と言っている通り、洗礼における新しい誕生と新しい変化によってです。
キリストは、律法でも、律法を与える者でも、行いでもありません。キリストは、天のお父様が私たちを義とし活きる者とし贖う方として私たちに贈ってくださった、言葉では表せない神的な贈り物です。「キリストを着る」ことは律法や行いに身を包むことではなく、言いようもなく素晴らしい贈り物、すなわち、罪の赦し、義、平和、慰め、聖霊様における喜び、救い、命、つまりキリスト御自身を着ることなのです。
(マルチン・ルター、宝石箱)