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ローマの信徒への手紙 11章36節
すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン。(ローマの信徒への手紙 11章36節)
父と子と聖霊がどのようにして唯一の神様でありうるか、などと私たちは疑ってはなりません。それは頭では決して理解できないことがらだからです。ですから、神様が御言葉の中で話され証されていることで満足することにしましょう。私たちは三つの「ペルソナ」(「位格」御父、御子、御霊のこと)すべてが、すなわち全神性が惨めな人間たちを罪や死や悪魔の支配から解放して、神様の御国へ、義へ、永遠の命へと助けようとされているのを目にします。そして、そのとき、神様の三位一体性が、神様の御前で私たちが恐れることなく喜びの心を持たせてくれるような深い慰めに満ちた奥義であることがわかります。
(マルチン・ルター、宝石箱)
ローマの信徒への手紙 9章5節
先祖たち(すなわちユダヤ人たち)も彼らのものであり、肉によればキリストも彼らから出られたのです。キリストは、万物の上におられる、永遠にほめたたえられる神、アーメン。(ローマの信徒への手紙 9章5節)
この救いの幸せに満ちた教えを、私たちは理性によっては理解することができません。私たちは、聖書が言っているように、主キリストはまことの神様であり、神的な本質において御父と同じ方であることを信じなければなりません。もしもキリストがまことの神様ではなく、御父が永遠においてお産みになった御子でもなく、すべての被造物の造り主でもないとすれば、私たちに救いはありません。
(マルチン・ルター、宝石箱)
ヨハネによる福音書 16章15節
父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。(ヨハネによる福音書 16章15節より)
イエス様は「お父様はこれこれしかもっていない」とか「すべてはお父様のものであり、私には何もない」とは言われず、「すべてはお父様のものでです。しかしお父様のものは私のものでもあります」と言われています。このようにしてイエス様は、御父と御子が同じ神様であることをはっきりとお示しになっています。そして「すべて」御父と御子のものは、聖霊様のものでもあります。「この方(聖霊様)は私のものを受けて、それをあなたたちに知らせます」(今日の御言葉の続きの箇所)と主が言われているとおりです。この「私のもの」とは何でしょうか。疑いもなくそれは、御父のものでもあります。御霊は御父と御子からあらゆる点で完全な神性を受けているのです。
(マルチン・ルター、宝石箱)