タグは ‘傲慢’
コリントの信徒への手紙二 1章9~10節
わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした。それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています。(コリントの信徒への手紙二 1章9~10節より)
神様は私たちが傲慢にも自分の力に頼ることを嫌われます。しかし、この罪は私たちの性質に付随しており、聖徒たちを、とりわけ最も抜きん出た聖徒たちを、第一戒に反抗する罪へと誘い込もうとします。
(マルチン・ルター、宝石箱)
コリントの信徒への手紙一 3章7節
ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。(コリントの信徒への手紙一 3章7節)
傲慢は、おそるべき病です。特にひどいのは宣教者たちが傲慢になってしまう場合には。それら宣教者たちは自分の栄光を探し求めるようになります。宣教者は、自分が感謝されるか軽蔑されるか気にかけずに、「神様の栄光」と「人間の救い」のみを求めなければなりません。
(マルチン・ルター、宝石箱)
ローマの信徒への手紙 9章15~16節
神はモーセに、「わたしは自分が憐れもうと思う者を憐れみ、慈しもうと思う者を慈しむ」と言っておられます。従って、これは、人の意志や努力ではなく、神の憐れみによるものです。(ローマの信徒への手紙 9章15~16節)
これは傲慢な者たちに対して言われている御言葉です。私(神様)が慈しみを与える者は慈しみをもちつづけます。しかし、あなたがたは自分自身の聖さによっては、私があなたがたに慈しみを与えるようにはできません。あなたがたはそれを自分の義や正しさによって探し求めていますが、私はそれを認めません。そのようなことになるくらいなら、むしろ私はすべての牧師職や大国や律法さえも滅ぼすことでしょう。あなたがたはもう一度私の恵みに立ち戻りなさい。そうすればそれを得ることができます。
(マルチン・ルター、宝石箱)