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フィリピの信徒への手紙 3章20節
しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。(フィリピの信徒への手紙 3章20節)
クリスチャンは自分の所属する家やグループや王国をこの世以外のところにもっています。あなたがたは、クリスチャンとして歩む者として、この世的な不幸がもはやなく永遠の平和の中で生きていくことができる天の御国へ思いを向け、そちらへと歩んでいきなさい!
(マルチン・ルター、宝石箱)
ローマの信徒への手紙 8章18節
現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。(ローマの信徒への手紙 8章18節)
もしも私たちがこの栄光を見るならば、私たちはさぞ立派に耐え忍ぶ殉教者となれることでしょう!もしも川の向こう岸に金貨のつまった箱をもった男が立っていて、「川を泳ぎ渡る勇気のある者は、この金貨をもらえるぞ!」と叫んだとすれば、すぐにでも真剣な水泳競争が始まることでしょう!
(マルチン・ルター、宝石箱)
どんな反対を耐えなければならないとしても、
どんな十字架を担いでいかなければならないとしても、
それはすべて軽く好ましいものにかわります。
キリストが担わせるくびきは、私たちにぴったり合っており、
キリストがくださる荷は、軽いからです
(マタイによる福音書 11章30節)。
罪が赦され、
それによって良心の平安が与えられた今、
クリスチャンは他のあらゆることを容易に耐えることができます。
今や、すべてがクリスチャンにとって
心から好ましく喜ばしいものにかわっているからです。
それゆえクリスチャンは、
たとえ肉的にはさまざまな困難が伴うとしても、
霊的にはすべてを喜んで行い、すべてを耐えるのです。
ところが、人が自分の義によって生きる場合には、
すべての仕事や苦しみは、その人にとって
堪えようもないほど重く苦しいものにかわってしまいます。
その人はそれらのことを、やる気もなく嫌々ながら行うからです。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)
ヨハネによる福音書 17章24節
父よ、わたしに与えてくださった人々を、わたしのいる所に、共におらせてください。(ヨハネによる福音書 17章24節より)
私たちは、この一文を「魂の枕や布団」だと思って、私たちの「時」が来たときに、その上で心喜び憩いながら、時間の世界から永遠の世界へと移っていくべきなのです。その時にこそ私たちは、罪やすべての不幸から解放されて、この世や悪魔の王国から永遠の平和と喜びへと移行するからです。
(マルチン・ルター、宝石箱)
ヨハネによる福音書 6章47節
はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。(ヨハネによる福音書 6章47節)
どれほど偉大な約束、どんなに素晴らしい宝を、キリストは私たちにここで与えてくださっていることでしょうか!ところが、私たちは、罪が染み付いている存在としてこの世の中を生きていくことになる以上、それを完全には把握できず、自分のものとすることもできません。目はそれを見ず、口はそれを味わわないからです。しかし、天国ではすべてが変わります。私たちは宝を見て味わい、それは私たちの身体と魂を光り輝かせます。この世では味わえず感じず見えないにもかかわらず、私たちは神様の御言葉を聴いて、信仰において自分のものとします。私たちにはそれで十分です。最後には死が訪れ、信仰は見えるものに変わります。
(マルチン・ルター、宝石箱)
マルコによる福音書 16章15~16節
それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。(マルコによる福音書 16章15~16節)
あなたは、ユダヤ教や全世界の反抗心や傲慢さが裁かれたのを聞きました。キリストは、この御言葉ひとつによって、天国を開き、御自分を信じる者皆に対しては、地獄を閉ざし、モーセの律法の専横をなくしてくださるからです。そしてまた、信じない者皆に対しては、地獄の淵を開き、死を全能者にし、モーセを耐え難い暴君になさるからです。
(マルチン・ルター、宝石箱)
イザヤ書 33章20、24節
私たちの祝祭の都、シオンを見よ。あなたの目は、安らかな住まい、取り払われることのない天幕、エルサレムを見る。その鉄のくいはとこしえに抜かれず、その綱は一つも切られない。(中略)そこに住む者は、だれも「私は病気だ。」とは言わず、そこに住む民の罪は赦される。(イザヤ書 33章20、24節より)
神様は、人間の罪をこの生において取り去りお赦しになるところに、御自分の栄光と恵みを示されます。これが地上における「恵みの王国」です。しかし、完全な救いに満ちている「栄光の王国」においては、罪もその取り巻きである悪魔や死や地獄も、(人に)もはや苦しみをもたらすことはありません。
(マルチン・ルター、宝石箱)