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ペトロの手紙二 1章20節
何よりもまず心得てほしいのは、聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではないということです。 (ペトロの手紙二 1章20節)
私たちは畏れとへりくだりの心を持って
神様の御言葉を読まなければなりません。
自分自身の賢さに頼って御言葉を説明しようとしてはいけません。
自分の賢さほど、私たちの妨げとなる有害な罪は他にありません。
御言葉を軽々しくあしらってもいけません。
聖書を読んでいて、もしも理解できない考えに出会ったなら、
帽子を外して敬意を表し、その先を読み続けましょう。
御言葉を侮ってはいけません。
人間の理解に合ったやり方で説明付けてもいけません。
御言葉には最大限の真摯さをもって接するべきであり、
御言葉を尊敬し、貴重なものとみなすべきです。
もしも気の向くままに御言葉に評価を下す態度を取るなら、
私たちは自己欺瞞に陥って窮することになります。
「自分の賢さ」という沼に沈んでいく者を、
そこから助け出すのは、容易なことではありません。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)
コリントの信徒への手紙一 13章8~10節
愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。(コリントの信徒への手紙一 13章8~10節)
私たちは部分的にまた不完全に理解しています。見ることによってではなく、信仰において理解するからです。私たちは不安定にまた不完全に預言しています。御言葉と説教を通して預言するからです。すべてを理解しようと無理するよりも、自分の無知を告白するほうが安全です。
(マルチン・ルター、宝石箱)
ヨハネによる福音書 3章8節
風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」 (ヨハネによる福音書 3章8節)
人はこの教えに勇気付けられて、
罪や試みに苦しめられているときにもこう言えます、
「私は確かに罪を通して腐敗したこの世の子だし、
死の宣告を受けた者でさえあるが、
私の主イエス・キリストが
私の罪を十字架に運ばれ、死に勝ち、
私を天のお父様と仲直りさせてくださったことを
知っており、また信じている。
このことのために私は洗礼を受けており、
私には永遠の命が約束されている。
それゆえ、私は勇気をもって神様に頼りたいと思う」。
このように新生した人間は、
十字架につけられたキリストへの信仰を通して、
罪や死や悪魔や世やあらゆる不幸を追い払います。
さらに、このような人は、
よい行いをし、神様に対し従順で、
召された職務を熱心かつ忠実に遂行し、
隣り人を愛し、もてる力に応じて助け、彼らに奉仕します。
真の信仰にはそのような行いが伴うものです。
(中略)
真摯なクリスチャンは皆、
聖霊様のそよぎに心を向け、それに聴き入り、
キリストが十字架で私たちの罪のために死んでくださったことを
信じます。
そして、そのような信仰を通して神様の子になり、
永遠の命を継ぐ者になるのです。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)
風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。」(ヨハネによる福音書 3章8節より)
神様のみわざやそれに関わることを見たり知ったりできないほど、理性は盲目なのです。
人間の理性を過大に評価して「理性は常に至高の事柄を扱う」と主張する賢い学者たちにとっては、この真実は受け入れがたいものでしょう。
人間性の最良の部分(理性)さえも取るに足らないものであり、美しく明瞭なことを識別する力もなく、怒りや激情や妬みに満ちています。
このことを知らせるために、神様はここで私たちに具体的な例を与えてくださったのでした。
イエス様はたとえとみわざによって、人間の理性は神様の御前では盲目であり死んでいることを示してくださいました。
ですから、理性が神様のみわざに関心を持たず、それを求めもしないのは当たり前なのです。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)
ルカによる福音書 8章10節
イエスは言われた。「あなたがたには神の国の秘密を悟ることが許されているが、他の人々にはたとえを用いて話すのだ。それは、『彼らが見ても見えず、聞いても理解できない』ようになるためである。」(ルカによる福音書 8章10節)
私たちは自分たちの理解を超えて隠されている秘密を「奥義」と呼びます。神様の御国にも奥義があります。パウロも言っているように、私たちに示してくださったあらゆる恵みと共に「キリスト」がその奥義です。キリストを知っている者は、神様の御国とは何であり、何がその中に入っているか、を知っています。これが奥義と名づけられているものなのです。それは霊的な秘密であり、聖霊様がそれについて告げてくださらなければ秘密として留まりつづけるからです。
(マルチン・ルター、宝石箱)
詩編 32編8節
わたしはあなたを目覚めさせ行くべき道を教えよう。あなたの上に目を注ぎ、勧めを与えよう。(詩編 32編8節)
主はこう言われています。あなたは私に教えようとしても、自分自身に教え込もうとしてもいけません。あなたは私に自分を委ねなさい。私はあなたの師匠であり、私の御心に適うようにあなたが歩めるような道であなたを導いていきます。自分の考えどおりに進まないとき、すべてがだめになったとあなたには見えることでしょう。そういうときには、あなたの考えはあなた自身を傷つけ私を妨げます。あなたの思い通りにうまくいくことなどは何もなく、あなたの理解を超えてすべてことは運ぶのです。自分の理解力のなかでへりくだりなさい。そうすれば私の理解力をあなたは得ます。
(マルチン・ルター、宝石箱)