タグは ‘疲れ’
ヘブライ人への手紙 4章15~16節
この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。(ヘブライ人への手紙 4章15~16節)
人は時々疲れるものです。しかし、キリストはいつも(私たちと)共におられ、助けを差し伸べ、こう言われます、「起きなさい、子よ、起きなさい!大丈夫だ、また続けなさい。すべてを乗り越えていくしかないのだよ。失敗はつきものだ、ただ、倒れ伏したままにならないように気をつけなさい」。
(マルチン・ルター、宝石箱)
エゼキエル書 34章16節
わたしは失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。しかし、肥えたものと強いものを滅ぼす。わたしは公平をもって彼らを養う。(エゼキエル書 34章16節)
ここからわかるように、キリストの王国は、疲れ果てた者、病気の者、傷ついた者の只中でキリストが働かれ、彼らの世話をし、彼らを助けてくださっている場所です。これは慰めに満ちたメッセージです。それなのに、私たちは自分の危機と悲惨とに気がつきません。主が私にこのように憐れみ深くあられるのを見るとき、主は私の心をすっかりとらえ、私は主の御許へと馳せます。そして、そこから心にさらなる深い喜びが生じるのです。
(マルチン・ルター、宝石箱)