タグは ‘知恵’

コリントの信徒への手紙一 3章18~20節

だれも自分を欺いてはなりません。もし、あなたがたのだれかが、自分はこの世で知恵のある者だと考えているなら、本当に知恵のある者となるために愚かな者になりなさい。この世の知恵は、神の前では愚かなものだからです。「神は、知恵のある者たちをその悪賢さによって捕らえられる」と書いてあり、また、「主は知っておられる、知恵のある者たちの論議がむなしいことを」とも書いてあります。(コリントの信徒への手紙一 3章18~20節)

キリスト教の信仰や教会にとって「自分の知恵」ほど耐えがたくまた有害であるものはありません。それは何かをやり始めると必ず正しい道からはずれて、自己満足をもたらすような新奇なことを構築しようとするものだからです。
(マルチン・ルター、宝石箱)

コリントの信徒への手紙一 1章19~21節

それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを意味のないものにする。」知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。(コリントの信徒への手紙一 1章 19~21節)

私たち人間は、
「自分は神様についてよく知っている(自分には知恵がある)」
と思いこんでいます。
それは、楽園でアダムとエバが、悪魔にそそのかされて、眼が開かれ、
「自分は賢い」と思いこんでしまったことから始まっています。
これが今でも私たち人間を悩ませている病です。

神様の御言葉が宣べ伝えられるところには、
父なる神様とキリストと聖霊様
(すなわち、三位一体なる神様)がおられます。
しかし、
御言葉の星が照らさないところには、
キリストが住んでいる部屋はありません。
言い換えれば、
福音が照らさず、働きかけないところには、
たとえすごい奇跡が頻発したとしても、
決してキリスト教会は存在しません。
このことに注目しましょう。

御言葉をわきに斥けてキリストを手探りし始める者は、
偽りに支配されるようになります。

神様が働きかけておられるところでは、
理性に基づいて考えた場合には、
まったく絶望的に思えるようなことが起こります。
しかし、聖霊様によって、
最も素晴らしいやり方ですべてのことは進んでいきます。
このことを聖書は、いたるところで力強く教えてくれます。

私は、自分のことも満足に管理できないのに、
「全世界を支配したい」、などと夢想しています。
私は、神様に何かよい提案をして、
神様に教えようとしたことが何度もあります。
しかし、神様は、私のこうした「教師根性」が
実はまったく役に立たない代物であることを、
私の目にちゃんと示してくださいました。

(マルチン・ルター、信仰生活アドヴァイス)

イザヤ書 28章29節

これもまた万軍の主から出たことである。主の計らいは驚くべきもので/大いなることを成し遂げられる。(イザヤ書 28章29節)

主が御自分の聖徒たちを導かれるおなじみのやり方を
正確に見極めることにしましょう!
神様の教会や他の事柄について主が行うべきやり方について、
私は主なる神様に対して勝手にルールを決めるという
大胆な態度をとることがよくありました。
「ああ、主よ」と私は祈りました、
「私はあなたがこのことをかくかくしかじかのやり方で
行ってくださるように望みます」。
しかし、神様は私が祈ったのとは正反対のやり方で事を進められました。
 
そういう時に私は次のように考えたものです、
「私の考えたやり方は神様の栄光と競合しない、非常に有益なものだった。
それは神様の御名を聖とし、御国を広げるものだったからだ、等々。
そうだ、それは実によく考えられたやり方だった」。
 
しかし、主は私の「賢さ」に対して微笑まれ、
きっと次のように言われることでしょう、
「あなたは理解力があり、よく教えを学んだ者であることを
私は知っています。
しかし、ペトロやマルティン博士や他の誰かから、
私が教えや指導や助言を受けるようなことは、
今まで一度もありませんでした。
私は、誰かが私を教えたり指導したりするのを許すような神ではなく、
それとは逆に、他の者たちを指導し教える神なのです」。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)

詩編 111篇10節

主を畏れることは知恵の初め。これを行う人はすぐれた思慮を得る。主の賛美は永遠に続く。(詩編 111篇10節)

学問や芸術の領域では、多くを見聞した者が専門家になれるわけですが、神学や霊的な知恵の領域では、見聞や探究は無益であり、専門家に要求される大切な唯一の基準は「神様の御言葉を聴いて信じる」ことです。何か他の基準をもつ者は道を踏み外します。そのような人は、たとえこの世のあらゆる知恵に精通していたとしても、何もできず正しく説教することもできません。
(マルチン・ルター、宝石箱)

ルターの著作の翻訳者 高木賢(フィンランド・ルーテル福音協会)
このサイトに引用されているのは聖書新共同訳です。
聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会

Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1987,1988

マルティン・ルター
1483年~1546年
神学者、牧師
宗教改革の創始者