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ローマの信徒への手紙 14章17節
神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。(ローマの信徒への手紙 14章17節)
神様の御国は、キリストが忠実な王様として、信仰者を支配し、守り、懲らしめ、褒美を与え、導くところであり、信仰者がキリストに信頼し、喜んでキリストの父親的な懲罰を受け入れ、従順にキリストに従うところです。それは、この世的な国ではなく、時間に束縛された国でもなく、霊的な御国です。それは、食べることでも飲むことでもなく、その他表面的なことでもなく、義であり、人々の心や良心を慰めるものです。
(マルチン・ルター、宝石箱)
イザヤ書 9章6節
ダビデの王座とその王国に権威は増し/平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって/今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。(イザヤ書 9章6節)
ちょうど父がわが子に、また羊飼いがその羊たちにするように、この方は御国をそのすべての欠点をも含めて担いでおられます。この方は御国の民をその罪のゆえに投げ捨てず、逆に彼らを助けて癒してくださいます。なぜなら、この方の御国は、すべての貧しい罪人にとって、助けと恵みと慰めの王国だからです。
(マルチン・ルター、宝石箱)
詩編 117編2節
主の慈しみとまことはとこしえに
わたしたちを超えて力強い。ハレルヤ。[1](詩編 117編2節)
主の恵みとまことは永遠に変わりません。
恵みの王国はこの世でも非常に強いので、
決して揺れたり倒れたりしません。
私たち人間は頼りない存在で、
罪や迷妄のせいで時にはぐらついたり躓いたりしますが、
恵みはびくともしません。
私は新奇な恵みの国を必要としていません。
常に同一の恵みが今も無償で私たち皆に対して差し出されており、
私が再び恵みのもとに戻ってくるのを待っています。
この「船」は壊れません。
洗礼の力は決して消えません。
恵みの王国は崩れません。
この「詩編」が語っている通り、
主の恵みとまことは永遠に存在しつづけます。
私はたとえ船から落ちても、再び乗船します。
洗礼を捨て去ったとしても、再びそこに戻ります。
恵みの王国から迷い出てしまっても、またそこに帰ります。
洗礼と船と恵みは永遠に力強く留まりつづけます。
それらは私の躓きやぐらつきのせいで変わったりはしません。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)
[1] 「主を賛美しなさい」という意味です。