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コリントの信徒への手紙一 15章34節
正気になって身を正しなさい。罪を犯してはならない。神について何も知らない人がいるからです。わたしがこう言うのは、あなたがたを恥じ入らせるためです。(コリントの信徒への手紙一 15章34節)
使徒は、
私たちが「悪い交わり」に気をつけるよう、
この御言葉を書いています。
前節でも使徒は、
「悪い交わりは良い習慣をそこなう」、
と言っています。
私たちが惑わされないためにどう行動するべきか、
使徒は示しています。
「寝ぼけたり、のろのろと怠惰になったりして、
神様をあざけり惑わす者どもに隙を与えたり、
戸を開いたりしないように、
気をつけなさい」、
と使徒は言いたいのです。
こうした誘惑から守られ、
自分のもっているものを失わないようにしたいのなら、
神様の御言葉を熱心に学び実行に移すため、
目覚めて身を正さなければなりません。
悪い惑わす者どもが近づいて来れないように、
あなたがたは御言葉によって守られます。
悪い策略を防いだり、この世でそれについて耳にするのは、
自分でどうにかできるものではありません。
しかし、そういう時に行うべきことは、
誘惑に機会を与えず、
自分の身を守るよう目を覚ましていることです。
なぜなら、
悪魔は休みなく、
あなたをいたるところであらゆる方面から試みるからです。
それゆえ、あなたもまた、
立っていようが座っていようが、
家にいようが旅行していようが、
人々と付き合っているときにはどこであれ、
神様の御言葉によって武装し、
目を覚ましていなければなりません。
ちょうど神様も御自分の民に命じて、
律法を目の留まるあらゆるところに
書きとめさせたのと同じようにです。
それは、
彼らがいつでもそれらを見て、
あらゆる試みや悪行から守られるためなのです。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)
ローマの信徒への手紙 8章13節
肉に従って生きるなら、あなたがたは死にます。しかし、霊によって体の仕業を絶つならば、あなたがたは生きます。(ローマの信徒への手紙 8章13節)
ここでパウロが言っているのは、クリスチャンの中にもまだ殺すべき肉、言い換えるなら、神様の御命令に反抗するあらゆる誘惑や欲望が残っている、ということです。これらは人間の性質の中で活発に活動し、パウロが「罪のわざ」と呼んでいる様々な罪へ人間を陥れようとします。「罪のわざ」とは、不信仰な考え、疑い、肉的な欲望を悲しまない心、神様を畏れない傲慢さ、神様の御言葉と祈りに対する冷淡さと鈍さ、苦難の中での忍耐不足と不平、隣人に対する憤懣、復讐心や嫉妬や怒り、貪欲、姦淫などのことです。これらの罪の傾向は人間の性質の中にあるため、それらは人間の中でたえず活動し、人間を誘惑へとそそのかしています。御霊は肉を殺してくださるためには、まず、人は自分の罪を告白しなければなりません。そして、罪深い欲望が自分の中で動めくのを感じる場合には、心を落ち着かせて神様の御言葉を思い起こさなければなりません。また、それらの罪と戦うときには、罪の赦しを信じて自分を強めなければなりません。
(マルチン・ルター、宝石箱)
マタイによる福音書 6章13節
わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。(マタイによる福音書 6章13節)
神様が誘惑自体を取り除いたり無くしたりはされないにせよ、私たちに誘惑と戦う力と強さを与えてくださるのは、誘惑へと引き入れることとはちがいます。私たちがこの身体のうちに生き悪魔が近くにいる限り、誘惑に陥らない者はひとりもいないからです。事態は変わりようがありません。私たちは誘惑に苦しまなければならず、誘惑の中で生活さえしなければなりません。しかし私たちは、誘惑の中で罪に陥ってついには滅んでしまうことがないように祈るのです。それゆえ、天のお父様に頼って心からこう願うよりほかに助けはありません、「愛する天のお父様、あなたは私が祈るように命じられました。私が誘惑の中で罪に落ち込まないようにしてください!」。
(マルチン・ルター、宝石箱)
悪い者から救ってください。(マタイによる福音書 6章13節後半)
「主の祈り」に神様は私たちが陥りうるあらゆる苦難を要約してくださいました。それは、私たちが祈りを怠る場合に理屈をつけてそれを正当化できなくするためです。また、私たちが「祈りはすでに聞かれており、いつか必ず実現する」と信じて、祈りに「アーメン」と言えるようになることも、力を与えます。揺るがない信仰は祈るときに風を切るような真似はせず、私たちの祈りを聞いてくださると約束された神様が決して偽りを言われないことを知っているからです。
(マルチン・ルター、宝石箱)