ホセア書 13章14節
陰府の支配からわたしは彼らを贖うだろうか。死から彼らを解き放つだろうか。死よ、お前の呪いはどこにあるのか。陰府よ、お前の滅びはどこにあるのか。(ホセア書 13章14節より)
もしも悪魔が、
処女マリアの子「女のすえ」であるキリストは永遠なる全能の神様であること
を知っていたとしたら、
キリストに手出しはしなかったことでしょう。
(中略)神様は悪魔をひそかに捕縛するために「釣り」をします。
魚は釣り針に気がつかずに餌の虫に食いつきます。
そして釣られてしまいます。
父なる神様のなさることも同様です。
御自分のひとり子を、
アダムやアブラハムやダヴィデの血や肉を共有するものとして、
至上の天から地上へと遣わされたのです。
地上で悪魔はキリストを貧しく惨めな「虫」(詩編22編7節)と見なします。
つまり、キリストを、
飢えや渇きや寒さや暑さに苦しみ、
この世の労苦と悲惨に囲まれて泣いている、
他とまったく同じ普通の人間として見るのです。
しかし、悪魔は
何か特別なものがこのキリストに隠されていることを知りません。
それは、
キリストが永遠なる全能の神様であり、
御父と似た方でありながら別のペルソナ[1]である、
ということです。
これは悪魔の考えの及びもしないことでした。
キリストが奇跡を行ったことには悪魔は驚きませんでした。
なぜなら、
預言者たちもそうしたことはできたし、
悪魔は彼らのことも飲み込んでしまったからです。
同じようにキリストを飲み込むのもわけない、と悪魔は考え、
口をあけてキリストに噛みつき、飲み込もうとしたのです。
ところが、
キリストは悪魔の喉下にからみつき、
悪魔はキリストを飲み込もうとしたせいで
逆にキリストの奴隷となり、自滅していきます。
なぜなら、
キリストは真の神様であり、
死んだままではおらず、
死から自由になってよみがえり、
活きつづけ、
悪魔を捕縛してくださるからです。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)
[1] 「ペルソナ」(位格)とは、唯一なる神様の三つの面を表す言葉で、父、子、聖霊のこと。父なる神様、子なるイエス・キリスト、神の霊なる聖霊様を指す。そのため、「三位一体」なる神様という表現が用いられる。