詩編 124編8節

わたしたちの助けは/天地を造られた主の御名にある。(詩編 124編8節)

この御言葉は私たちに、
罪と死とあらゆる危険とに対する助けは
「主の御名」にしかないことを教えています。
主の御名がなければ、あらゆる罪と侮りと誤謬に陥ってしまうからです。
私たちの助けは主の御名にあります。
それは私たちをあらゆる悪から守り、
世や悪魔に対して私たちの信仰と命を保ってくれます。
この一節は、すべての詩編と同じく、
神様はその聖徒を試練に遭わせ、
彼らがまるで大水の中に飲まれたかのように
深い苦しみと危機に巻き込まれるようになさり、
しまいには彼らが「もうだめだ」と
あきらめるようにさえなさることを、
私たちに教えています。
一方では、神様は、
御自分の民をしまいまで捨てたままにはされない、
という慰めを与えてくださっています。
御自分の民をエジプトのかまどで辛い試練に遭わせたのは、
「古い人」をその行いとともに死に至らせ、
私たちが主なる神様からのみ助けを捜し求めるようになる、
という御心を神様は私たちにお示しになりたいのです。
このことはあらゆる経験や試練が証していることでもあります。
なぜなら、
考えたり学んだりするだけでクリスチャンになる人は誰もおらず、
実地に訓練を受ける必要があるからです。
つまり、
クリスチャンは自分の十字架を負わなければならないということです。
その十字架は私たち自身の肉(人間としての本質)を
あまりに取るに足りないものにするので、
人は自分の力を疑うようになり、神様の助けに頼って、
それを根気強くゆるがぬ希望をもって待ち望むようになります。
そして、これが神様の恵み深い御心なのです。
私たちは神様をそれとは違うような方だと勝手に想像してはいけません。
苦しんでいる私たちを助け出し
絶望やその他の不幸から救い出してくださるお方として、
私たちは神様を理解しなければなりません。
この教えを知っている人は、信仰の戦いにおいて半ば勝利したも同然です。
しかし、
この教えについて何も知らず、試練にあって悪魔の意志に屈する人は、
絶望するか、あるいは助けをどこか別のところから捜し求めるようになります。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)

ルターの著作の翻訳者 高木賢(フィンランド・ルーテル福音協会)
このサイトに引用されているのは聖書新共同訳です。
聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会

Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1987,1988

マルティン・ルター
1483年~1546年
神学者、牧師
宗教改革の創始者