マタイによる福音書 25章45節
そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』 (マタイによる福音書 25章45節)
もしもあなたがここで
隣人のわきを素通りするなら、
その隣人は天国への路上で
あなたの前にあらわれることでしょう。
そして、あなたは天国の門の前で
もう一度その隣人のわきを
素通りしなければならなくなります。
盗人の名がすべて書き込まれている大きな一覧表には、
(隣人を助けるのに必要な)持ち物をもっているくせに、
困窮している隣人のことを
気にもかけないでいる者たち全員が含まれています。
貪欲な人間がなしうる役に立つよいことは、
死ぬことだけです。
なぜなら、貪欲な人は、生きている間は、
神様にも他の人にも自分に対してさえも、
まったく役に立たない存在だからです。
自分のために生きる生き方など
のろわれてしまうがよい!
私たちがいただいた贈り物が大きければ大きいほど、
それだけより深く私たちは、
他の人たちに仕えるために謙虚にへりくだらなければなりません。
それゆえ、真のキリスト信仰者は、
キリストがなさったように、皆に仕えます。
真のキリスト信仰者は、
主が与えてくださった賜物を鼻にかけたりなどはせず、
他の人たちを見下したりもしません。
神様が私たちに与えてくださるもののなかで、
富はこの地上で一番価値のない持ち物であり、一番小さな賜物です。
それゆえ、ふつう神様は富を、
優しさに欠けた貪欲な人々に対してだけお与えになります。
しかし、彼らには富以上によいものを一切お与えになりません。
隣人が
飢えやのどの渇きで苦しんでいたり、
住むところがなかったり、
靴や着るものがなかったりして
困窮で苦しんでいるのを見ていながら、
その人を助けないならば、
あなたは
ほかの人の財布からお金を盗むのと同じくらい
ひどい盗みを働いているのです。
なぜなら、あなたには、
隣人が困っている時にその人を助ける義務があるからです。
あなたの持ち物は、あなた自身のものではなく、
あなたには
それを困窮している人たちに分け与えるために管理する責任があるのです。
一番のお金持ちは、一番ひどい盗人です。
なぜなら、
自分で必要としない余分な持ち物が山ほどあるにもかかわらず、
彼らはそれを必要としている人に、
ほんの少ししか分け与えようとはしないからです。
しかも、
(彼らほど裕福ではない)ほかの人たちは、
その困っている人に、彼らよりもっと多くのものを与えるものだからです。
(マルチン・ルター、信仰生活アドヴァイス)