マタイによる福音書 6章9節

天におられるわたしたちの父よ(マタイによる福音書 6章9節より)

この御言葉を信じて
「われらの父よ」と正しく祈ろうと努めるのがどれほど難しいか、
試練の中であなたは気が付くことでしょう。
それが難しいのは、
この御言葉が確固たる力強い真理ではないためではありません。
私たちがあまりに弱く、御言葉に頼り続けることができないからなのです。
本来なら、私たちはこの御言葉に、
鉄やダイヤモンドのような手と心でしっかりくっついているべきなのです。
残念ながら私は
心から「われらの父よ」と言えないことを経験により知っています。
そして、この御言葉を完全な態度で言える人は地上にはひとりもいません。
それでも私は心からそう言えるように努め、
幼子のようにおしゃぶりを吸いはじめます。
私はこの御言葉を十分には信じることができません。
しかし、それを嘘よばわりして否定したくはありません。
(中略)
私は毎日この「主の祈り」とキリストの説教を
ワンセットにして読めるようになるまで
声に出して読む練習をしています。
どういうやり方であろうと、
つっかえながらのもごもご声であろうと、
何かしらは唱えることができるように、
神様、私を助けてください。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)


御名が崇められますように。(マタイによる福音書 6章9節より)

神様の御名はそれ自体聖であり、私たちが聖とするものではない、ということに注目しなさい。なぜなら、神様の御名はすべてを、私たちさえをも、聖とするからです。聖キュプリアヌスも言っているように、私たちは御名を自分自身においても聖とするべきです。なぜなら、そのとき神様がすべてとなり、人間は取るに足りない者になるからです。これが実現するのは、神様の御言葉について純粋かつ明瞭に教えがなされ、私たちが神様の子供として御言葉の通りに信じ、正しく生きるときです。私たちがこのように信じて生きるように、愛する天のお父様、助けてください!しかし、神様の御言葉に反対して教えまた生きる者は、神様の御名を私たちの只中で汚すことになります。私たちがそうならないように、愛する天のお父様、守ってください!
(マルチン・ルター、宝石箱)

ルターの著作の翻訳者 高木賢(フィンランド・ルーテル福音協会)
このサイトに引用されているのは聖書新共同訳です。
聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会

Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1987,1988

マルティン・ルター
1483年~1546年
神学者、牧師
宗教改革の創始者