マタイによる福音書 5章44節
しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。(マタイによる福音書 5章44節)
ここでは、
御言葉を聴く人と御言葉を説教する人とを区別しなければなりません。
御言葉を聴く人はいつも、
彼らを傷つけ迫害する人のために祈らなければなりません。
しかし、
御言葉を宣教する人は、
与えられている職務に従って懲罰し、
律法を説教しなければならない時があります。
同情心から叱らないでおくのは、正しい態度ではありません。
それにより、悪を支持することになってしまうからです。
福音を迫害し、自分が強いと思い込み、
福音を足蹴にする私たちの敵に対して、
「立派な方々、神様があなたがたの義しさと聖さに報いてくださるように」、
などと言ったり、
彼らの悪行について沈黙を守り、
彼らに屈服し、
その足に口づけするようなら、
私は悪を支持することになってしまいます。
そうであってはなりません。
愛する友よ、
噛まなければいけない時には、ちゃんと噛むことができるように、
説教者の口には「歯」が必要です。
真実を美化せずに公に伝えるために、
説教者のメッセージには「塩」があるべきです。
もしも人々がその説教者の話を聴こうとしないなら、
説教者は彼らに対して天を閉ざし、
「地獄の火にふさわしい者よ」、と宣告するべきなのです。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)