マタイのよる福音書 13章44節
天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。(マタイのよる福音書 13章44節)
このようなものがつまり天国です。何人かの人は天国をもっているように見えますが実はそうではなく、他の人たちは天国を持っているようには見えませんが、実はもっています。表面的には立派に見える偽善者たちは教会を形成したいと思っていますが、できません。彼らは教会の宝、キリストを知らないからです。ところが、義なる人たちは、たとえ彼らが教会を形成しているようには見えなくても、キリストを知っています。彼らはこの世においてはまったく目立たない隠れた存在でありつづけるからです。
(マルチン・ルター、宝石箱)
キリストが私たちに挨拶してくださるだけでも、大きな栄光であり宝です。しかし、キリストが与えてくださる罪の赦しと、死や悪魔や地獄からの解放は、さらに貴い宝です。この宝を通して、キリストは私たちの心を照らし、私たちを新しく創造してくださいます。私たちは決してこの宝の中身を言葉によっては十分に表現できません。
(マルチン・ルター、宝石箱)