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ペトロの手紙一 2章2~3節
生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです。あなたがたは、主が恵み深い方だということを味わいました。(ペトロの手紙一 2章2~3節)
心で信じるときに私は、「キリストが御自分を私に贈って、私のものになってくださった」ことや、「私の不幸はキリストのものであり、キリストの命は私のものである」ことを味わい知ったのです。このことは、心がそれを知るときに本当に美味しく感じられます。そして、それは深い喜びをもたらすのです。
(マルチン・ルター、宝石箱)
コリントの信徒への手紙二 6章9~10節
人に知られていないようでいて、よく知られ、死にかかっているようで、このように生きており、罰せられているようで、殺されてはおらず、悲しんでいるようで、常に喜び、物乞いのようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有しています。(コリントの信徒への手紙二 6章9~10節)
キリストを信じている者は、貧しさのなかにも豊かさを見、辱めのなかにも栄光を見、嘆きのなかにも喜びを見、死のなかにも命を見、これらを待ち望みつつ、神様の御言葉に密着する信仰によって、これらを自分のものとしています。
(マルチン・ルター、宝石箱)
ローマの信徒への手紙 4章17節
死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる神を、アブラハムは信じ、その御前でわたしたちの父となったのです。(ローマの信徒への手紙 4章17節より)
神様は言われます、「私は「存在しないもの」が存在するようになるように呼び出し、嘆きや心の苦しみすべてを喜びに変えます。そしてこう言います、『死や墓よ、命へと変わりなさい!地獄よ、天国や救いに変わりなさい!毒よ、最良の薬に変わりなさい!悪魔や世よ、愛する私の天使たちや真摯な聖人たち以上に、私のものであるクリスチャンたちの益となるように働きなさい!私は、ありとあらゆる不幸や苦難を通して、自分の庭の世話をして耕し、それをよりよくしていくのです』」。
(マルチン・ルター、宝石箱)
使徒言行録 8章5~6、8節
フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた。群衆は、フィリポの行うしるしを見聞きしていたので、こぞってその話に聞き入った。実際、汚れた霊に取りつかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫びながら出て行き、多くの中風患者や足の不自由な人もいやしてもらった。(・・・)町の人々は大変喜んだ。(使徒言行録 8章5~6、8節)
正しい信仰はいつでも神様における慰めと喜びをもたらします。しかし、このような慰めや喜びを体験できるのは、悔いる心と畏れの心をいだいている人だけです。キリストがこう言われているとおりです、「貧しい者たちに福音が宣べ伝えられています」。
(マルチン・ルター、宝石箱)
マタイによる福音書 12章18~19節
「この僕にわたしの霊を授ける。彼は異邦人に正義を知らせる。彼は争わず、叫ばず、その声を聞く者は大通りにはいない。(マタイによる福音書 12章18~19節より)
神様はこれを「裁き」と名づけておられます。なぜなら福音は、私たち自身のあらゆる義を斥け、罪を拭い去って永遠の裁きを無効にした「キリストの義」だけを賛美し、また差し出すからです。貧しく罪のなかに死んでおり、地獄で滅ぶという裁きの下にある人間が、尊く優しいこのキリストについての御言葉以上に慰めに満ちた言葉を聞くことはありえません。もしも人がそれを本気で信じるなら、その心は喜びに溢れます。
(マルチン・ルター、宝石箱)
マタイによる福音書 11章28節
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイによる福音書 11章28節)
イエス様は重荷を取り去ってくださいます。すなわち、罪を赦してくださいます。イエス様は困っている人の苦しみを和らげ、喜びと安全を与えてくださいます。良心の呵責に悩まされている人は、自分が罪赦されて天国を継ぐ者とされていることを知るとき、真の意味で大いに元気付けられます。
(マルチン・ルター、宝石箱)
イザヤ書 2章3節
多くの民が来て言う。「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう」と。主の教えはシオンから御言葉はエルサレムから出る。(イザヤ書 2章3節)
主の道は主のみわざ、とりわけ、主が私たちの中で働かれるみわざです。主は、悪魔の仕業、罪、死、嘆き、恐れ、あらゆる不幸、さらには私たちの日々の堕落までをも消し去って、私たちの中にそれらとは反対のもの、すなわち、希望、正義、忍耐、喜び、平和を生み出してくださいます。
(マルチン・ルター、宝石箱)