タグは ‘慰め’

ペトロの手紙二 3章17~18節

愛する人たち、あなたがたはこのことをあらかじめ知っているのですから、不道徳な者たちに唆されて、堅固な足場を失わないように注意しなさい。わたしたちの主、救い主イエス・キリストの恵みと知識において、成長しなさい。(ペトロの手紙二 3章17~18節より)

「キリストが私たちのために死んでくださった」とはどういう意味か、学び、進歩し、成長するために、本気で戦いなさい。この真理が、空っぽのあぶくのように舌の上に留まるだけではなく、あなたがたの心に深く染み入って慰めを与え、勇気付け、行動へと導くようになるためです。
(マルチン・ルター、宝石箱)

ヤコブの手紙 5章7~8節

兄弟たち、主が来られるときまで忍耐しなさい。農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待つのです。あなたがたも忍耐しなさい。心を固く保ちなさい。主が来られる時が迫っているからです。(ヤコブの手紙 5章7~8節)

神様はすべてのクリスチャンを「忍耐と慰めの学校」にお入れになります。この学校では、私たちはいつも学びの途上にあり、すべてをすっかり学び終えるようなことは決してありません。聖書は悲惨や苦しみや死を消し去ったりはしません。そのため、忍耐が必要になるのです。しかし、聖書は苦しみの只中にある私たちを慰め強め、倦まず弛まず私たちが前進できるように助けてくれます。私たちが勝利を得る時までずっとです。
(マルチン・ルター、宝石箱)

コリントの信徒への手紙二 3章4~6節

わたしたちは、キリストによってこのような確信を神の前で抱いています。もちろん、独りで何かできるなどと思う資格が、自分にあるということではありません。わたしたちの資格は神から与えられたものです。神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、霊は生かします。(コリントの信徒への手紙二 3章4~6節)

文字の働きによっては、誰も神様の怒りに耐えられません。聖霊様の働きによってなら、神様の恵みのゆえに、誰も滅びることはありえません。聖霊様は私たちを活ける者にしてくださいます。聖なる唯一の福音、健康的で、救いをもたらすメッセージ、愛らしく慰めに満ちた御言葉こそが、悲しみに沈んだ心を慰め、元気付けてくれるのです。
(マルチン・ルター、宝石箱)

使徒言行録 8章5~6、8節

フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた。群衆は、フィリポの行うしるしを見聞きしていたので、こぞってその話に聞き入った。実際、汚れた霊に取りつかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫びながら出て行き、多くの中風患者や足の不自由な人もいやしてもらった。(・・・)町の人々は大変喜んだ。(使徒言行録 8章5~6、8節)

正しい信仰はいつでも神様における慰めと喜びをもたらします。しかし、このような慰めや喜びを体験できるのは、悔いる心と畏れの心をいだいている人だけです。キリストがこう言われているとおりです、「貧しい者たちに福音が宣べ伝えられています」。
(マルチン・ルター、宝石箱)

ヨハネによる福音書 16章33節

安心しなさい。私は世に打ち勝っているのです。(ヨハネによる福音書 16章33節)
   
信仰者は、
神様への信仰を通して自分の心を勇気付け、
確実で永続する慰めを得ます。
それにより信仰者は、恐れることなく大胆に
罪や死や悪魔やあらゆる害悪から目をそむけない勇気を得ます。
たとえ悪魔が全力で信仰者に襲いかかり、
恐怖によって徹底的に信仰者をくじこうとしても、
信仰者は襲いくる恐怖の只中にいても、
勇気と信仰をもってこう言います、
「邪悪な悪魔め、
尻尾を巻いてどこかへ消えうせろ。
怒るな。
お前が怒り狂って怖がらせようとしても、
私はそんなことは無視するし、
お前を軽蔑する勇気に満ちているからだ。
なぜなら、
イエス・キリストというお方がおられるからだ。
お前もこの方を知っているか?
私はこの方を信じている。
この方は、
律法を無効にし、罪を裁き、死を取り去り、地獄を滅ぼされた。
キリストは、お前よりもはるかに偉大であり、
またこれからもそうあり続けられる。
なぜなら、
この方がお前を捕縛なさっているので、
もうお前は私やこの方を信じる者に
危害を加えることができなくなっているからだ」。
このような信仰に悪魔が勝つのは不可能です。
ヨハネが言っているように、
私たちの信仰こそが世に打ち勝っている勝利だからです。
「世に打ち勝つ者は誰でしょうか?
それはイエス様が神様の御子であることを信じる者ではありませんか」(ヨハネの手紙一 5章4~5節)。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)

ヨハネによる福音書 14章15~17節

「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。(ヨハネによる福音書 14章15~17節)

キリストが描き出しておられるように、聖霊様は恵みと慰めの御霊であるということを私たちは知り信じなければなりません。このように三位一体なる神様はあらゆる面から私たちを慰めてくださいます。御父様は聖霊様を与えることによって慰めてくださり、御子は聖霊様が私たちに与えられるように祈ることによって慰めてくださり、聖霊様は御自身が慰め主であることによって慰めてくださるのです。
(マルチン・ルター、宝石箱)

ヨハネによる福音書 14章1節

心を騒がせるな。(ヨハネによる福音書 14章1節より)

この慰めの御言葉は私たちの救い主の「決別の辞」全体に明瞭に響き渡っています。その辞のなかで、キリストは弟子たちに平和の遺言を残してくださいました、「なぜあなたたちは恐れ心騒がせているのですか。この私自身が『あなたたちの心を騒がせてはいけない』と、前にも言い今もまた言っているではありませんか。しかも私があなたたちに言うことを、私の父もまた言われているのです」。これに対して天国の天使たちも全員こう叫んでいます、「本当です!」。
(マルチン・ルター、宝石箱)


「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。(ヨハネによる福音書 14章1節)

「あなたがたの心が悲しまないようになさい」、
とイエス様は言われています、
「今や私は死んであなたがたの目の前から消え、
私のことを知らないこの世にあなたがたを置いていきます。
あなたがたは周りからさまざまな苦しみや不幸に悩まされ
脅かされることでしょう。
しかし、勇気を失ってはなりません!
私はあなたがたを圧迫したり悲しませたりは決してしない、
という私の言葉を覚えておきなさい。
もしもそのようなことが起きたら、それは間違いなく悪魔の仕業です。
羊が自分の羊飼いをその声で知るのと同じように、
あなたがたも私を「恐れるな!驚くな!」という声で見分けることができます。
私の言葉はそのまま私の思いでもあります。
他の声が聞こえるなら、それは私の声ではなく、
私の名前とペルソナに隠れて私のことを真似ている者の声です。
その声に聴き従ってはなりません」。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)


「神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。(ヨハネによる福音書 14章1節より)

信仰について間違ったことをせず、
正しいことを行いたいと望む者は、
神様が恵みと救いを備えてくださった場所、
神様を見い出すことができる場所から始めるようにしなさい。
そうしないと、
誤りをおかして信仰と行いの意味もなくしてしまうのは
まず確実だからです。
その人は、自分を欺いて、
何か自分の行いに頼って神様の恵みを得ようとします。
しかし、真のクリスチャンは次のように言うものです、
「ここに私の神様がおられます。
私は、イエス・キリストと一体であられるこの方をおいて、
他の神を信じたりはしません。
この方に私は信頼します。
その時、自分には真の神様がおられることを私は知ります。
もしも私にこの方がいてくださるのなら、
私は悪魔や世に対して強い態度をとり、
それらを軽蔑することができます。
もしも悪魔が私の持ち物や栄光や霊や血を私から奪うとしても、
私には命と死と世と万物の主なるキリストがおられます。
たとえ悪魔が私を脅かして私の良心に重くのしかかってきても、
悪魔は何の勝利も得ません。
ここに私が信じている私の主がおられるからです。
もしも私がこの方を信じるならば、
私は神様を信じることになります。
この方御自身こそが、まことの神様だからです」。
(マルチン・ルターの旅のお弁当)

マタイによる福音書 12章20節

彼は傷ついた葦を折らず、くすぶる灯心を消さない。(マタイによる福音書 12章20節より)

キリストを正しく知るようになることや、キリストの王国は弱い者や病気の者だけが入っているような「病院」に他ならず、そこには手当ての必要な調子の悪い者や病人が寝込んでいる、ということを知るのは非常に大切です。このことを理解しているのは、福音をもっている者たちも含め、ごく僅かの人々です。これはあらゆることのうちでも最も偉大な知恵です。
(マルチン・ルター、宝石箱)


正義を勝利に導くまで、彼は傷ついた葦を折らず、くすぶる灯心を消さない。(マタイによる福音書 12章20節)

「傷ついた葦」とは、道に迷ったあげく神様を恐れて逃げ出してしまう、か弱く傷めつけられた良心のことです。キリストはこのような葦を足で踏みにじったりはなさいません。それはキリストのやり方ではないからです。それとは逆に、キリストはその葦が折れてしまわないように優しく扱ってくださいます。弱々しくくすぶっている燈芯よ、どんなに自分の中から火よりも煙の方が多く出ているとしても、疑いにとらわれてはいけません!そのような燈芯をキリストは決して消されず、それに火を点すために休みなく世話してくださいます。このことは、理解する人にとっては、大きな慰めです。
(マルチン・ルター、宝石箱)

マタイによる福音書 7章7~8節

「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。(マタイによる福音書 7章7~8節)

もしも祈りをたった一日でも怠ると、私は暖かさや信仰の大部分を失ってしまいます。唯一最も明瞭で確実な祈り方は次に述べます。奥の部屋か目立たない部屋の隅に引っ込みなさい。嘆きため息をつき神様にすっかり心を打ち明けなさい。忠実な天国のお父様なる神様はあらゆる困難においてあなたに助言と救いの手を差し伸べようと望んでおられることに慰められ、また依り頼みなさい。
(マルチン・ルター、宝石箱)

エゼキエル書 34章16節

わたしは失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。しかし、肥えたものと強いものを滅ぼす。わたしは公平をもって彼らを養う。(エゼキエル書 34章16節)

ここからわかるように、キリストの王国は、疲れ果てた者、病気の者、傷ついた者の只中でキリストが働かれ、彼らの世話をし、彼らを助けてくださっている場所です。これは慰めに満ちたメッセージです。それなのに、私たちは自分の危機と悲惨とに気がつきません。主が私にこのように憐れみ深くあられるのを見るとき、主は私の心をすっかりとらえ、私は主の御許へと馳せます。そして、そこから心にさらなる深い喜びが生じるのです。
(マルチン・ルター、宝石箱)

ルターの著作の翻訳者 高木賢(フィンランド・ルーテル福音協会)
このサイトに引用されているのは聖書新共同訳です。
聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会

Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1987,1988

マルティン・ルター
1483年~1546年
神学者、牧師
宗教改革の創始者